カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「気分障害」と「うつ症状」

抗不安剤飲んでいるので、新規に保険に入れなそうだ - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記
 の続き。

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2018年10月頃、通っている心療内科に、診断書を書いてもらった。「気分障害」の「うつ症状」なのだそうだ。
素人として平たく言うと、「うつ病」ということでいいのだろう。
気分障害|KOMPAS
気分障害とは何か
気分障害:ヘルプノート:こころもメンテしよう
2016年末あたりから早朝覚醒が続き、情緒不安定になった。早朝覚醒が「うつ症状」だとは気づかずにいた。
2017年7月に心療内科を受診し、以降、セルシンジアゼパム)を処方してもらうようになった。
近況1東武動物公園とか地元イベントとか - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記
8月16日時点での近況 - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記
で、毎日の仕事は、まあまあこなせる。
宿泊業の店主が「うつ病」というのも聞こえが悪いが、ウチの職業形態は接客時間が少ないので、あまり問題はない。
事務処理能力とか事務処理の意欲がかなり衰えているが、嫁がカバーしてくれているので、そこもあまり問題はない。
だが「毎日の仕事」を超えるぶんになると、わりとしんどい。しんどいというか、どうにか可能なんだが、意欲ゼロで行うので、そういう意味でしんどい。
具体的は、観光協会長職にまつわる雑務がしんどい。任期がまだ一年あるが、辞めさせてもらうよう次の総会までに先輩たちに相談しよう。
もう一つ、老父死去に伴う財産分けというか、老父名義になっているどこにあるのか誰も知らない土地の扱いとか、そういうのが、税理士さんがいるからまあどうにかなるはずなんだが、そこに老母の狂乱が加わると大混沌必至で、そういうのがしんどい。
「うつ症状」の「症状」そのものなのだが、将来への希望とか、楽しいと感じることとか、充実感とか、そういうのがないのが、しんどいというか、楽しさを感じないのだから楽しくない。

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考えてみると狂乱の我が老母は、若かりし頃からずっと早朝覚醒していて、早朝覚醒を美徳だと思っていて、いつも情緒不安定だから、狂乱の我が老母も「うつ病」なのかもしれない。当人に情緒不安定の自覚がゼロだが。

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同じ心療内科が、睡眠時無呼吸の検査も扱っているので、老父の葬儀後、まず睡眠時の血中酸素量を測る検査をした。2分くらい息を止めているのと同じくらい血中酸素が少なくなることが睡眠中複数回あることが分かった。さらに詳しい検査は今後する。
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老父の永眠(2018年11月)

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11月2日(金)、老父がお菓子を喉に詰まらせた。
老父は要介護2で、認知症が進行していて、咀嚼能力が衰えているのに、つまみ食いをしたがるという状態が続いていた。
なのでお菓子を放置しておくのは危険なのだが、後で気づいたのだが、我が老母がその日の朝購入し放置していた。それを家族不在のタイミングで老父がつまみ食いし、窒息した。
窒息して、レジのところで老父が崩れ落ちた。崩れ落ちたところを嫁が発見し、店の前にいた俺を呼んだ。
後で考えると、そのとき俺がすべき正解は、窒息物を吐き出させるために、老父の後ろから羽交い絞めして、みぞおちのところに拳を固めて強く押す、ということだった。
「どうすればいい?」と動転する嫁に、救急車を呼んでもらい、救急電話の指示に従って心臓マッサージをした。老父は一度、目を見開いた。あれが俺との別れのメッセージだったように俺は解する。
救急車が来て、老父と、付き添いで嫁が病院へ向かった。
その時点で老父は心肺停止状態だったので、警察が検分に来る、対応してほしい、と救急職員から言われた。
警察が来て検分した。防犯カメラを昨年くらいから設置してあったので、それで窒息時の状況が確認できた。
警察の検分が始まるタイミングあたりで、老母の妹の夫が車検を終えた車を届けに来た。彼は自動車修理工場を営んでいる。親戚の中では俺と最も親しい叔父さんだ。老父が倒れたことを叔父さんに伝えた。
それと前後して嫁から、「至急、父に会わせたい人、近親者を呼んでくれ」との電話があった。
警察が検分している最中、老母が「店舗」に戻って来た。状況を説明した。老母は色々変なことを言いながら、病院へ向かった。
警察の検分が終わった後、嫁が戻ってきた、のかな。このあたりよく覚えていない。
入れ替わりで、俺も病院へ向かった。
医師から説明を受けた。一旦停止していた心肺は動き出したが、窒息が15分以上続いたので、脳の機能は戻らない。次に心臓が止まった時に蘇生措置をするかどうか尋ねられた。次に心臓が止まったら蘇生措置はせず、それでおしまいにしてください、と俺は告げた。
今日明日が山だ、と医師が告げた。
老母と、老父の姉は、その日から数日、泊まり込んだ。
俺も老父の病室に一日の半分以上の時間いた。
金土日を挟んでいたので、俺の妹など親族も見舞いに来れた。

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老父はそれから約11日間命をつなぎ、11月13日(火)の朝に亡くなった。11日間命をつないでくれたお蔭で、老母の錯乱もそれなりに収まり、老父の死を老母も受け入れることができた。
医師が死亡診断したところで、葬儀屋とお寺へ電話した。
老父は葬儀屋の会員になっていたので、その後の葬儀関連の手続きはわりとスムースだった。とはいえ、事前に映画『お葬式』を観てシミュレーションしておけばよかった、とは思った。
老父の遺体は、村中にある、俺と嫁が寝泊まりしている「離れ」へ運んだ。この「離れ」は俺が生まれた頃まで老父たちが生活していた「実家」だ。

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この「離れ」のうち、俺と嫁が寝泊まりしている部分以外の空間は、11月3日に老母が新興宗教の仲間とバザーをするための準備室倉庫として、老父が倒れた11月2日まで使われていた。
老父が危篤になったので、バザーは中止となり、バザー用物品は老母の妹さんと老母の従姉たちが片づけ、「離れ」の清掃をしておいてくれた。
老父の遺体は、この「離れ」へ運ばれた。我が村には「仁義」という風習があり、通夜までの間、親戚や生前の知人たちが、「離れ」で遺体に線香をあげに来た。
葬儀屋さんと打ち合わせ、11月15日(木)通夜、11月16日(金)火葬、告別式、というスケジュールに決まった。
方丈さんと打ち合わせ、戒名には、「慈」という文字と、老父の曽祖父の戒名から文字をもらうよう要望した。老父の曽祖父は、すってんてんの極貧から平民レベルまで一代で財をなした働き者だ。老父はすってんてんの極貧の原因を作った先祖と同名だったが、生き様はむしろその財を成した方の曽祖父に似ている、と、生前の老父に言ったところ、ずいぶんと喜んだ記憶がある。のでその名に因むのが供養になると思った。

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通夜葬式の際の香典帳場は、自治会の同じ組の人たちにお願いした。人が足りないので組が違うご近所さんにもお願いした。
地元の風習に関してと、我が老母のヒステリー対応には、老母の兄の長男がずいぶん力になってくれた。前述の、老母の妹夫妻が相談相手として最も力になってくれた。地元の風習については、老母の従妹の夫も力になってくれた。
老父の血筋の従兄弟は、俺以外の男は、県内では絶滅していていて、ほとんど頼れなかった。俺の祖母の実家の家はずいぶん本気で力になってくださった。
「離れ」での老父の遺体を見ているうち、老父の顔を見るのももう最後だな、と思い、久しぶりに本気モードで老父の似顔を描いてみた。親族へ見せたら受けが良かった。似顔絵は棺に納めた。

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通夜葬式の喪主は俺なのだが、その際の口上・挨拶を、妹一号が張り切って下書きした。俺としては「できるだけミス少なく済ませる」ことを優先し、葬儀屋さんからもらった定型文に沿って口上を述べた。
妹一号は独身でもあるので妹として考えず、弟として考えるべきだ、と、俺は嫁から指摘された。そうか。たしかにそう考えるほうが適切だろう。弟として考えれば、妹一号の張り切りぶりは、ストンと腑に落ちる。

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葬儀の翌週、富士山マラソンがあった。俺の施設は給水所なのもあって、毎年けっこうたいへんなのだが、今年は葬儀から連続している感じがあって、特にたいへんだった。

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老父の命日から数えて四十九日は、大晦日に当たった。なのでその前の週、12月22日(土)に老父の四十九日法要を行った。12月のこの週は三連休なので、本当は24日(月)昼が一番望ましかったが、クリスマスイブに法事をするというのも変だし、その前日は天皇誕生日で連休中日なのでそれも避けたいので、22日昼に行った。
寺で法要をしたのち、墓に納骨した。我が村は30年位前まで土葬だった。現在の墓石は20年位前に父母が建てたものだ。なので、我が家の墓の納骨一号は老父だ。
この納骨堂には、この後、老母と、俺と、俺の嫁と、俺の妹一号が納まることが確定していて、俺の娘はこの墓に入るかどうか判らない、で、俺の家は基本的にはそこでお終いなんだな、とか思った。*1

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抗不安剤飲んでいるので、新規に保険に入れなそうだ

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田舎に来て以来、老母と付き合いのある保険屋に多数会い、「田舎のお付き合い」で、入りすぎるくらい保険に入った。
生命保険の総額を見ると、俺が死んだとき保険金目当ての殺人の容疑者になりそうだ、と嫁が懸念する程度に。
保険屋にも有能と無能がいて、その中で一人だけ商品知識が確かな人がいる。逆に言うとその人以外は薦めている商品知識が貧困で話にならない。
その有能な保険屋さんが久しぶりに来て、少し話をした。
俺が昨年から精神安定剤抗不安剤)を飲んでいることを言ったら、あ、もう、新しい保険に入れませんね、と彼が告げた。
過剰なほど入っているし多数の保険屋から過剰なほど勧められてきた保険の類だが、もう新規に入れない、と知ると、少し寂しい。

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抗不安剤を飲んでいる人は自殺する可能性があるから、新規加入させないのだろうなあ、とか想像した。

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数日後、無能な保険屋が来て商品を勧めてきた。
俺、精神安定剤飲んでいるからもう新規に入れませんよ、と答えた。
病名が判れば入れるかもしれない、と無能な保険屋が粘った。そこ粘るところかなあ。
たしかに病名は告げられていないので、後日確認してみよう。

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処方してもらっているジアゼパムと、処方されるきっかけになった不眠症(朝4時~5時くらいに目が覚めて眠れない症状と、睡眠不足による情緒不安定)から、病名を推定してみようとグーグルで検索してみた。
検索の結果、素人考えでは、どうも可能性が高いのは、うつ病のようだ。
あれ、そうなんだ? 俺が「うつ病」という言葉から連想していたのとは症状がちょっと違うな。
とはいえ、ジアゼパムを飲まないでいると「悔しい」という言葉が四六時中出るし、共感力や感受性が自覚できるほど低くなっているし、ジアゼパム飲まないでいると睡眠障害もあるし情緒不安定になるし、生活がちっとも楽しくないから、まあそうなのかな。

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睡眠時無呼吸症候群の可能性もあるので、そっちも後日検査してみよう。
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9月の近況とか、来年への申し送りとか

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9月に休みがないのは当然として、10月も休みを作り損ねた。
正しくは、嫁が「この日からこの日まで休業」と設定してくれていたのに、で、予約管理システムのほうではその期間閉じていたのに、手書きの予約台帳のほうに休業日設定していなかったので、うっかり予約を入れてしまった。
ので、10月に5日弱とれるはずの休みが、3日弱となってしまった。
9月は最終週平日はたいして客が来ないから、来年からは、はじめから休業日設定にしておこうと思う。

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今年は9月1週目2週目くらいが疲労のピークだった。
8月の客入りが微妙に少なかったのと、バイト確保に成功したので、その辺まで耐えられたのだと思う。
9月初め、台風が近づいたころ、陽気にやられた。体力が衰えると、台風接近に伴う気圧変化に弱くなる。

3;

我が施設には川がある。9月初めに来た台風のあと、施設敷地内の川に杉の枯れ枝が溜まり、それが原因でダム状になった。
その枯れ枝を取り除き、川が流れる状態に回復させるのがけっこうたいへんだった。
地下道を兼ねる水路に泥が結構大量に溜まったので、その泥を片付けるのにも時間と体力を使った。
俺は肉体労働が嫌いだ。

4;

台風で、キャンプサイト内の柳の大木が折れた。川の作業の後、この折れた大木をチェーンソーで切り、翌週末テントサイト客を受け入れられる状況にした。
幹部分は太すぎて重すぎるので、できるだけ短く切り、テントサイトの隅に転がす、という処理をした。
台風のあとは、こういう作業にだいたい一週間くらいかかる。

5;

台風の翌週くらいの土曜午後に、敷地に隣接する電柱が放電した。その後、停電した。
東京電力に連絡した。我が家だけではなく、俺の村と隣の村と、けっこう広範囲に停電になったようだ。
午後6時半ごろまでには電気が回復した。

6;

この停電が原因で、施設内のwi-fiが一部使えなくなった。NTTへ連絡した。ルータやタップなどが壊れていたらしい。

7;

9月は疲労が溜まりすぎていて、人の心を挫くのに十分だ。
現在の比較的合理化された状況でもそうなのだから、今の数倍無駄な仕事に溢れて、たいがいのブラック企業よりブラックな過剰労働で大学1年生の夏休みを老母に酷使させられ心を挫いた時を毎年思い出す。あの時が俺の人生最大の後悔点で挫折点で不可逆時点だった。くそ。

8;

抗不安剤ジアゼパムセルシン)を飲むことでフラッシュバック等からは逃れることができるが、ジアゼパムの副作用で思考力や、瞬時の判断力や、好奇心等は衰える。
抗不安剤ジアゼパムセルシン)を飲むようになって以降の自分のブログを読み返すと、共感力とか、優しさとか、そういう感情が少しずつ荒廃している読後感がある。
これは薬のせいではなく老化とか心の病とかそっちのせいで、抗不安剤ジアゼパムでどうにかその進行を遅らせているというのが正しいのかもしれない。
主観的には、自分の精神年齢が、70歳くらいに老化している感覚がある。
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近況;1018年夏

1;スマホの件

スマホを湖に落として紛失した - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記の続き。
スマホは翌日、AUショップで同機種の新しいものを取り寄せる手続きをした。その間、代わりのスマホを借りた。この代わりに借りたスマホのほうがずっと使い勝手が良い。ガラケーから乗り換える人用の機種だそうだ。次に機種変更するときはこれにしよう。
帰宅後、風なく波がなかったので、桟橋から覗いてみたら水底に落としたスマホケースが見えた。ボートのオールを伸ばしてみると、水底のスマホケースに届いた。そのまま岸まで引きずって回収した。
下手に電源入れると壊れると思ったので、相談しにAUショップへもう一度行った。自然乾燥させるのが一番だと聞いた。
水没したスマホのほうを充分自然乾燥させた後、電源を入れた。データをPCへ移すことができた。娘を撮影した画像は意外に少なかった。
水没したスマホの方はもう解約してありバックアップしてなかったので、ラインなどの情報は復活できなかった。

2;宿泊業トラブルの件

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7月終わりごろ、酔った客が客室の玄関ドアに全身でこけて、ドアが破損した。玄関ドアは格子のついたガラス状のものだった。格子が曲がり、ガラスが全壊した。
翌日朝、業者に来てもらったところ、同じサイズのドアの在庫がないので、ドアそのものを新たに作ることになる。そのため修繕には1ヶ月かかるとのこと。翌日から台風が来る予報で、かつトップシーズンの間ドアが破損している状態では営業ができない。
同じサイズのドアの在庫がないのならいっそ玄関ドアを枠ごと交換してもらえないか聞いたが、それはそれで大工事になり入口ごと作り替えることになるので、現実的な対処法ではないそうだ。
その日の夕方に業者が再度来て、応急処置として格子をとりあえず真っ直ぐにし、ガラスをはめて、見た目壊れていない状況にしてもらった。これでどうにかシーズンをしのげた。

2-2;

7月終わりごろ、客室ベッドが一つ、脚がもがれていたことに気付いた。家具屋へ連絡し、これは一週間ほどで直してもらった。その間は予備の折り畳み式ベッドでしのいだ。

2-3;

9月初め頃、客室のトイレにガラスのコップを流したバカ客がいて、正直に謝ればいいものを黙って帰っていきやがった。幸いなじみの水道屋さんがわりとすぐに来てくれて直してくれたので、次の客には影響しなかった。
トイレ関係のトラブルで今までで一番意味不明なのは、何年か前、トイレの中にミカンを丸ごと流して詰まらせたバカだ。

2-4;

8月お盆の頃、雨水をためて掃除などに使っているその雨水タンクの蛇口が壊れた。蛇口は地面から上に向けて設置してあったので、噴水のように噴出した。敷地内に噴水ができたことに呆然とした。高校生アルバイトが機転を利かせ、噴水状に噴出している蛇口の上にBBQ用鉄板を置き、応急の蓋とした。水自体はゴンゴン出ているが噴水という視覚的インパクトの強すぎるものが消えて、冷静に考えることができるようになった。雨水ポンプには途中にバルブがあることを思い出し、そのバルブを止めてしのいだ。
高校生アルバイトは濡れたまま仕事をしたので翌日風邪をひいて休んだ。
バルブを閉めてトラブルが一応解決した時点で高校生アルバイトを帰宅させ着替えさせるよう俺が指示しなかったのが誤りだった。彼に風邪をひかせたのは俺に責任がある。

3;懐かしい出会いなど

3-1;

8月上旬頃、20年くらい前に新谷かおるのアシスタントを同期にしていた香港人の友人が、家族を連れて河口湖に遊びに来て、我が家に来た。懐かしい。ハグして記念撮影した。

3-2;

8月中旬頃、webの友人が山中湖に家族と宿泊した帰りに、ウチに来た。webではやりとりがあったが会うのは初めて。統一協会が奈良の町政に関わっていることを危惧なさっている方だ。1時間弱情報を交換した。こちらから与えることのできる情報は少なかったが、彼女にとり何か得るものがあったなら幸い。

3-3;

8月後半頃、表現規制反対活動仲間が河口湖へ日帰りで遊びに来て、ウチに寄った。近況等を伺う。

3-4;

どうも今年は懐かしい人に会う年周りのようだ。
出席しなかったがGWには高校のクラス会がおよそ20年ぶりにあった。
秋には高校の学年合同の同窓会が開催されるという案内が来ていて、連休最初の日の夕方なので欠席するという通知を出しておいたが、高校時代の同級生などほとんど顔も名前も覚えていないが、正直言って会いたい気持ちはほぼ絶無なのだが、そういう年周りなのなら行ってみようかと考え直し、やっぱり参加します、と、まとめ役へ伝えた。

4;

今年の夏は比較的トラブルが少なく、老母が俺に絡むことがほとんどなく、客の質もそれほど悪くなく、しんどいことはしんどかったが、どうにかなった。
トラブルが比較的少なかったのは40年以上前に亡くなった祖父の機嫌が今年は良かったのだろう、と、オカルトな話を嫁とする。今年は夏が始まる前に嫁と娘で墓参りと墓掃除をし、夏の間に俺も墓掃除に行った。

5;夏の天気

昨年は6月7月がバカ暑く、8月は雨続きだった。昨年は梅雨がなかったので河口湖は渇水し水位は低かった。昨年は8月は雨天が多かったが客は多かった。
今年の7月8月は猛暑だった。冬の雪量が例年並みにあり梅雨も普通に雨が降ったので河口湖の水位は高かった。今年の8月は猛暑過ぎたためか昨年より少し客が少なかった。テントの客は「ゆるキャン」の影響でか、「なっぷ」へ参加したためか、ずいぶん増えた。

6;

抗不安剤セルシンの副作用だと思うが、ブログを書こうという意欲が全く湧かない。思うにブログを書くという作業はアートセラピーであり、薬剤で精神の興奮を抑えているのでアートセラピーを必要と感じないのだろう。
セルシンの副作用なのかどうかわからないが、学術書を読もうというエネルギーが全く湧かず、「なろう」小説ばかり読んでいる。
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スマホを湖に落として紛失した

夏の予約ラッシュが落ち着いてきたので、ヤフーでのweb広告を弄って検索に掲示されやすくなるようにした。
そのためだろう、夕方、次々と電話がかかってきた。
一つの電話の処理をしている間に、次の電話がかかってきて、嫁がとろうとしたが、4コール以上電話をとらない時は俺の携帯に転送されるように設定してあったので、俺の携帯を嫁に渡し、それでどうにか同時に処理した。
折悪く、以前頼んであった、モーターボートのガソリンが届いた。俺はまだ予約電話の処理が終わらない。嫁がガソリン配達の対応をとりあえずしたが、モーターボート関係は俺の担当なので、俺がその対応をしなくてはならない。
やっと俺の方の電話予約の処理が終わり、家電話の横に嫁が置いていた俺のスマホを俺は胸ポケットに入れ、モーターボートのガソリンを受け取った。
浜へ行き、モーターボートへガソリンタンクを繋ごうとした。その時、俺は前傾姿勢をとった。胸ポケットから俺のスマホが湖に落ちた。あ。と思った。
かろうじてスマホが浮いているその瞬間に必死で湖からスマホを拾い上げようとしたら、ぎりぎり間に合って拾えたかもしれない。
俺は無駄に諦めが良すぎるところがあり、先に諦めた。
が、水位はそれほど深くない。スマホの落ちた先は見えないが、以前、湖に落ちたスマホを何とか拾おうと頑張った客がいた(その客は結局拾えなかったが)のを思い出して、どの程度の深さなのか、オールで水底を着いてみた。それほどは深くない。が、もう夕暮れで暗くてスマホがどこに落ちたかは分からない。ヘドロ状の水底で、スマホを岸まで引きずるのはたぶん無理だ。
フロントへ戻って、嫁にスマホを湖に落とした話をした。
俺は普段ならスマホは作業ベルトの蓋つきポーチに入れている。水の中にスマホを落としてしまわないように。今日はうっかりしていた。
どうにか拾えるのではないか、と嫁が言う。ならもう少し頑張ってみるか。
俺は釣りを全くしないが、父の使っていた、鯉釣り用の胸元までの水位なら湖に入れる長靴があるので、それを履いて、再挑戦した。
湖に入る。胸元まで水位が来るところまで湖水の中を歩いたが、スマホが落ちたのはあと1m強沖合だ。拾えない。日が陰り暗くてスマホがどこに落ちているかもわからない。
なので諦めた。
スマホを紛失してまず困るのは、地元観光協会関係の情報がスマホのラインで来ることが多いことだ。なので前会長へ俺がスマホを紛失したことを伝えた。
あのスマホには、今年の1月にハワイへ嫁と娘と旅行に行った時の写真データなどが入っていた。
後で嫁と話をして、そのデータは本来はSDカードでPCへ移しておくのが利口だったと知った。
残念だ。
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久しくブログを書いてなかったこと

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精神安定剤セルシンを常用するようになってから、ブログを書くことが減った。
書く意欲というか、書こうという衝動が減った。
性欲がここ10年弱でごごごっと減ったのとパラレルな関係なんだろうな、と思う。
人は遺伝子を残したいという衝動があるのと同様に、精神的文化的な遺伝子、ミームっていうんですか違いますか、そういうのを残したいという衝動があって、マンガ描きたいと感じたりブログ書きたいと感じたり、そういう衝動が湧くのは、遺伝子残したいというのに似た衝動なんだろうなあとか思う。
俺は幸いにして肉体的法的伴侶を得、一人だけは自分の遺伝子を肉体的に残すことができたが、精神的文化的意味でのそれを得損ねたというか、ああ、表現規制反対運動というミームだけは残せたか。今は俺の手からは離れているけど。でもな。もっと他にも残せたはずだという、ここに俺の老いらくの後悔がある。

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今日はちと観光連盟関係で興奮することがあった。
興奮するのを抑えるために多めにセルシン飲んでいたんだが。
目の前に不正義があると衝動がどっと沸くが、それをどうクリアするかということについてはクリアしたいという欲望とか、クリアするための作戦とか、作戦の土台のための情報収集とか、そういうのが必要なんだが、残りの寿命のうちになすべきことへの欲が俺は薄いんで、薄いっつうか枯れているんで、たいして継続的でもないし計画的でもない。

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田舎で生活していて、幸いにして、俺は金銭に関してあまり苦労していない。これは今のご時世、そして俺のでたらめな今までの生き方から考えて、幸運なことだ。
自分のでたらめな生き方に付き合わせて、もっと堅実な生き方が選択肢にあった友人たちを複数堕落させたことは、俺の悪徳だ。
脳味噌が興奮すると、憂鬱というか自己嫌悪というか今生は無駄な人生だったという感情が湧いてやまない。
この感情は、通常、精神安定剤セルシンを飲むと治まる。今日は治まらない程度に興奮しているようだ。
残り20年強の余生、狂人な老母と過ごすという点がハードモードだ。エネルギーの9割がそれに奪われる。残り1割で仕事とわずかに旦那業と育児をしている。200年くらい前ならもう俺の年齢で老衰していてもさほどおかしくない。余生がムダに長すぎる。
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