カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「ネット・ゾンビ」な君へ

10/18 6:22に以下のコメントが、10/18のブログ記事に投稿された。

厨房 (220.144.173.241)
『俺がロリコンになったのは親のしつけのせいだ。』

このコメントは2通りの読解ができる悪文(ヘタクソな文)である。
1;「俺」とは厨房 (220.144.173.241) のことである。
2;「俺」とはカマヤンのことである。
「厨房 (220.144.173.241)」は後者の意図で書いたんだろうなあ、とは思うが、あいにく私は10/18のブログ記事にそんな内容は書いていない。従って「厨房 (220.144.173.241)」のコメントは無内容である。こういう無内容なコメントを書く人間は人格が男性器で、弄られたくて堪らない変質者なわけだが、どこのどいつだろうかと (220.144.173.241)をサーチしてみた。

IPアドレス 220.144.173.241
ホスト名 FLA1Aal241.myg.mesh.ad.jp
IPアドレス
都道府県 宮城県
接続回線 xDSL

カマヤンはサーチ結果をコメント欄に晒しておいた。このIPはしょっちゅう「オタちゃん2」を荒らしていた変質者(対話能力がない。人格が男性器)のIPである。
その後でカマヤンは考え直した。〈1;「俺」とは厨房 (220.144.173.241) のことである。〉の可能性も、ごく低いとはいえ、あるかも知れない。その場合、深刻な告白に対し、無下な態度をとってしまったかも知れない。
そのように考え、コメントごと削除した。なぜコメントごとなのかというと、コメント投稿者の意図がどうあれブログ記事とは全く無関係で、意図がどうあれ記事の誤読を招くからだ。
さて、10/18 22:07に以下の投稿があった。

嫌韓 (220.144.173.241)
『引用ばかりで、自分の意見はホンのちょっぴり。ロリコンなのは親のせい。自分の意見はこれぐらい?』

IPをサーチしてみよう。

220.144.173.241
ホスト名 FLA1Aal241.myg.mesh.ad.jp
IPアドレス
都道府県 宮城県
接続回線 xDSL

「厨房」と同じ人物だ。〈1;「俺」とは厨房 (220.144.173.241) のことである。〉の可能性は消えた。しかしね、『ロリコンなのは親のせい。』なんて、10月18日記事のどこに書いてある? どこまでもコミュニケーション不全な人物だ。
10月19日20:09に今度は以下の投稿があった。

嫌韓 (220.144.173.241)
『andy22氏といい、カマヤン氏といい、都合の悪い意見は削除・無視・拒否。文章もコピペばかり。あなたの意見が聞きたいのですが?』

なぜ「ネット右翼」は機械的に「都合の悪い意見は」という言葉を使うのかなあ? お前の意味不明な投稿が、誰にとってどう「都合が悪」く、いったいどういう「都合」が誰にあるとお前は仮定しているんだ? 「ネット右翼」はなぜ、どいつもこいつも揃って「日本語という論理的で美しく奥深い言語を、ぞんざいに扱う日本語破壊者」なのだろう。右翼の言葉を使うなら、お前は「非国民」だ。国民言語を使用できないのだから。お前のコメントは無視されて当然だし削除されて当然だ。なぜなら対話を目的とした・情報伝達を目的とした言語として成立していないのだから。他人のオナニー精液を残しておくような趣味の人間はごく少数だ。まあ、私は、ときどきすごく寛容になってそのごく少数になることもあるんだが。
ちなみに、コンラート・ローレンツが言うところでは、動物にも言語はあるが、動物は機械的にある状況になると発話する、考えて発話できるのは人間だけの特権だ、とのことだ。人間としての特権を捨てているようでは、人間扱いされなくて当然だ。これ、7年くらい前から、繰り返し書いているなあ。
あ、「ネット右翼」という呼称がお気に召さないのなら、私の持論の通り、「ネット・ゾンビ」と呼称してあげるよ。君の脳味噌は充分に腐敗していて、他者とコミュニケーション取れる能力を欠いているから。しかしながらね、それは私のせいでもandy22さんのせいでも韓国のせいでもないよ。
もちろん君の粗末な脳の処理能力では10月18日の記事を読解できないなんてことは当然に判っているよ。けどね、君に読解力がないことも、君が早漏なのも、別に私のせいではないのだよ。

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ヤスクニ3

http://d.hatena.ne.jp/marginalism/20051018/1129664026
それとは別に、いや別じゃないんですけど、私は、国のために亡くなった英霊が祀られている靖国神社に参拝に行って何が悪い、というような言説には胸が痛みます。私は日本国民なんですけども、私の先祖は会津藩士だったものですから戊辰戦争で命を落としていても靖国神社には祀られていないのです。戊辰戦争の戦死者慰霊と言ってもそれは薩長側の戦死者慰霊で私の先祖の魂はそこでは慰霊されていないのです。それで、太平洋戦争なんですが、この戦で亡くなった血縁者がいるとは私は聞いた事がないのです。なので「国のために亡くなった英霊」の中に私の先祖は入っていないのに私は彼や彼等の言う「国」の国民で、理屈はともかく感情としてはやめて欲しいです。私とは違って先祖が祀られている人が大事にするのは理解できます。参拝するのも自由だとは思います。ただ、公的な立場で参拝はやめて欲しいです。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」とかね、悪趣味だとしか思えないんです。

ふむふむ、と思った。

ところで、話は違うんだが、ヤスクニ擁護したがる人たちは、千鳥が淵をどう位置づけているんだろ。で、ヤスクニ報道の時、なぜ千鳥が淵のことに言及がなされないんだろ。いや、ヤスクニを否定する人もめったに千鳥が淵に言及しないけどさ。
…あ。そうか、千鳥が淵も真正売国奴・元大本営の瀬島龍三の息がかかっていたか…。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050617#1118953114

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さよなら僕らの偉大なお父様、マッカーサー元帥

http://www.geocities.jp/abe_netsuzo21/tennoh.html
マッカーサー靖国神社に合祀せよ!

これ↑読んで思い出したけど、マッカーサー銅像東京湾に立てようという話があったんだよね。日本現代史にはマンガ以上にマンガ的な事柄がごろごろしているのだが、以下の「さようならマッカーサー元帥」エピソードは、まったくもってマンガ以上にマンガ的だ。

 一九五一年四月一一日、〔略〕トルーマン大統領が、不服従を理由にダグラス・マッカーサー国連軍指令官から解任した〔略〕。〔略〕最高指令官が解任されたことは、文民が軍人を指揮するという原則の素晴らしい実例ではあったが、日本ではマッカーサーが受けた屈辱を、可哀相で意外な出来事としてとらえた者が多かった。トルーマン大統領の発表の翌日、リベラル派の『朝日新聞』は、「マッカーサー元帥を惜しむ」と題する社説を載せたが、これは多くの人々の心の琴線に触れた。

 われわれは終戦以来、今日までマッカーサー元帥とともに生きてきた。……日本国民が敗戦という未だかつてない事態に直面し、虚脱状態に陥っていた時、われわれに民主主義、平和主義のよさを教え、日本国民をこの明るい道へ親切に導いてくれたのはマ元帥であった。子供の成長を喜ぶように、昨日までの敵であった日本国民が、一歩一歩民主主義への道を踏みしめていく姿を喜び、これを激励しつづけてくれたのもマ元帥であった。

 マッカーサーは四月十六日、日本を離れ合衆国に向かったが、その様子はあたかも英雄の旅立ちであった。吉田首相はマッカーサーを訪問して元帥の偉大な貢献に感謝し、解任は「言葉にならないほどの驚きと悲しみ」ですと、個人的な書面を元帥に送った。天皇も、マッカーサーが公式の地位を失った以上、マッカーサーのほうから挨拶にくるべきですと主張する宮内庁の高官の助言を振り切って、みずから元帥の住居を訪ね、最後の心のこもったあいさつをした。天皇マッカーサーが会ったのは、これで一一回目であったが、最後のこのとき初めて、マッカーサー天皇をリムジンまで見送った。〔略〕東京都議会は「六三〇万都民」の名において感謝の意を表し、マッカーサー元帥を名誉都民とする条例が施行されるであろうと報道された。マッカーサーの碑」が建立されるとか、東京湾あたりに銅像がたてられるだろうという話も出た。
 NHKは、マッカーサーの離日を生中継で放送した。蛍の光のメロディーが流れる中、アナウンサーは悲痛な声で「さようなら、マッカーサー元帥」と繰返した。学校は休みになり、マッカーサーによれば二〇〇万人が沿道で別れを惜しみ、なかには目に涙をためた人もいた。警視庁の見積もりによると、沿道で見送ったのは約二〇万人であったが、マッカーサーはものごとをほぼ一〇倍に誇張する傾向があったから、なかなか数字の辻褄はあっているように思われる。とにかく、相当な人数であった。吉田首相と閣僚たちは羽田空港マッカーサー元帥を見送った。天皇の代理として侍従長が、衆参両院からも代表が、羽田で見送った。「白い雲を背景に」マッカーサーの愛機バターン号が飛び立つ情景に、『毎日新聞』は異常なほど興奮して次のように号泣した。「ああマッカーサー元帥、日本を混迷と飢餓から救い上げてくれた元帥、元帥! その窓から、あおい麦が風にそよいでいるのを御覧になりましたか。今年のみのりは豊かでしょう。それはみな元帥の五年八ヵ月にわたる努力の賜であり、同時に日本国民の感謝のしるしでもあるのです」。
  出典;ジョン・ダワ−『敗北を抱きしめて 下』(岩波書店、2001年)*1402-405p

最後の口調は今の北朝鮮を全然笑えないのだが、戦後のことですよこれ、北朝鮮体制がいかに日本のコピーであるのかよくわかるが、この話にはさらにオチがある。書くのが面倒臭いのでそれは後日に。

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*1:

敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人

敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人