カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

仮説・動物ニュースが流れる時、重大なことが隠されている

レッサーパンダが直立したり、アザラシの「たまちゃん」を報道洪水したりする時は、他の、極めて深刻な事柄が進行している時で、おそらくニュースの差し替え用に動物ネタニュースが流れるのだろう、と思う。
さて、1934年に清沢洌(きよし)は以下の文を書いている。

現代ジャーナリズムの批判

みみずにどれだけの社会性があるか

たとえば現在、東京の大新聞は何れも水道からみみずが出るということについて、大袈裟に書きたっています。どの新聞を見ましても、それが最も重要な記事になっている。東京市の水道からも出たし、それから玉川上水からも出て競争をしているというようなことです。しかしこれに一体どれだけの社会性があるのでしょうか。何が重要で、数日に渡ってこんなことが東京の大新聞のタップを飾りうるのでしょうか。
新聞社の内容を御承知の方には説明するまでもありませんが、東京の新聞には毎日、新聞紙上に収容しうることの出来る記事の十倍ものニュースや原稿が集まります。〔略〕しかるにその沢山集まる記事の中から、みみずが水道口から出たということが、何よりも大きな記事になるのであります。
私は世界の如何なる国の新聞においても、水道からみみずの出ることが、その首都で発行される大新聞の連載的主要記事になる例を知りません。それは他の多くの社会記事というものと共に日本が持つ特殊な特長でありまして、これは日本人の精神的傾向から生まれるものなのであります。
〔略〕最近日本というのをニッポンといわなければいけないとかいうようなことで力瘤を入れておる人があるが、私としてはあまり実は興味がない。

ジャパン・ニホン・ニッポン

もし外国人をしてニッポンといわすならば、こちらも米国などといっちゃあいけない訳であります。〔略〕或る私の知っておる代議士の人がアメリカへ行きまして、ワシントンで大統領に会いました。その時に〔略〕私の国は米を食う国、あなたの国は米の国、日米万歳万歳、といって握手をしたそうでありますが(笑声)、相手には何が何だか判らなかった。〔略〕自分の方ではニッポンと呼ばなくちゃ、呼んでもらわなくちゃいけないが、外国のことはいい加減にどんな当字を使っても好いというようなことは〔略〕理窟に合わないようでございます。〔略〕序(ついで)にいっておきますが、ニッポンというと、その内にNipと略されて呼ばれるようになりましょうが、これは「つねる」というような意味で、またチビというように解される恐れもある文字で、あまり香(かん)ばしい言葉ではありません。(221−227p)

清沢洌評論集 (岩波文庫)

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