カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

塾の合宿

4泊ほど、塾の合宿に参加してきました。以下、複数の視点から評価と感想を。
1;受験のシミュレーションとしての合宿
合宿での学習では、閉鎖された空間で疲労が蓄積していき、勉強以外何もしない統制された時間を生徒は経験する。疲労の蓄積から情緒が不安定になり、最終日に解放というカタルシスを迎える。これは「受験」体験のシミュレーションであり、受験生に「受験」の疑似体験を与えるという機能がある。
2;洗脳装置としての合宿
私の勤めている塾は体育会系なアレで、教材内容なんかはとくに合宿の学習では貧弱だったりする。閉鎖空間で体育会的なアレで生徒を統制するのは、これは洗脳技術の初歩テクであり、管理スタッフ自身もこういう洗脳型「研修」を受けている。その図式が個人的には気色悪く、この塾へ忠誠心を感じさせない理由になっている。
以上から考えると、今後、自己啓発セミナーや新興宗教などが塾業界に進出することはありえるだろうな、と思う。引いた視点で見ると、受験勉強への投資と、受験後その世帯が得る収入が徐々に釣り合わなくなってきているそうだが、人間は従来の図式が崩壊しつつあるときほど従来の図式に固執するものであるから、もうしばらく受験産業は安泰だろう。だから自己啓発セミナーや新興宗教が、その洗脳プログラムを用いて受験産業に参入することはありうるだろう。実際、「家庭教師のトライ」と統一協会暴力団との関係は噂されている。
3;愛しの美少女小学生との合宿
私が通常担当している小6クラス生徒は皆合宿に参加するので、私も参加した。だが、バスもホテルも別便で、私のクラス生徒とはほとんど会わなかった。お気に入りの我が愛しの美少女小学生とは、4泊5日のうち、出発時に遠くから手を振り合い、キャンプファイアーのとき遠くから横顔を眺め、帰路のバスに乗っている彼女へ窓越しに手を差し伸べるだけだった。寂しい。間違いをしでかしてはならんというご先祖の采配だろうか。
合宿では、アラブ系の面差しをした、でも純日本人らしいけど、美少女小学生と仲良くなったから、まあよしとしておこう。

ポチッとな 

金谷ヒデユキinコミケ

(;´Д`)ノ 金谷ヒデユキコミケに来てる…

金谷ヒデユキ&JAF、LIVE情報
★08/11(金) コミックマーケット70-ウォーターオリオンの企業ブース (西4-383)にて13:00〜「金谷ヒデユキミニミニディナーショー」
(東京ビックサイト/入場無料) http://www.bigsight.jp/

金谷ヒデユキはわりと好きです。行こうかな。

ポチッとな 

『蟻の兵隊』

ドキュメンタリ映画『蟻の兵隊http://www.arinoheitai.com/を観てきました。不正義と正義に関する映画です。不正義とは、日本軍上層部と、その戦争犯罪を隠蔽しようとする司法と、靖国利権に連なっている売国奴どものことです。
日中戦争終結した1945年8月、中国山西省にいた5万9000人の日本軍部隊はこの地方の中国国民党軍に降伏した。軍閥的な国民党将軍・閻錫山(えん・しゃくざん)は、共産党軍との戦いに日本軍を必要とした。日本軍司令官・澄田ライ[貝來]四郎は閻錫山(えん・しゃくざん)と密約を交わし、日本兵2600人を残留させた。以後彼ら日本軍兵士は数年にわたり戦闘を継続させられる。しかし日本政府は彼ら残留日本兵に対し、補償や恩給の対象から一切外し、現在に至っている。
奥村和一氏が、病床の…というより、寝たきりでもはや会話もできなくなっているしおそらく思考力すらなくなっていると思われる宮崎舜市中佐に語りかけると、宮崎舜市中佐が咆哮するシーンには、語りえない凄みがあった。
宮崎舜市中佐は終戦後、軍人・民間人合わせて200万人の残留邦人の帰国輸送を統括した。山西省での将兵残留の不穏な動きを当時察知し、澄田ライ[貝來]四郎司令官らに残留部隊編成の中止を強く迫った人物だ。立派な人物だ。正義の人だ。それにより組織的な残留工作は一度は撤回された。が、澄田ライ[貝來]四郎司令官らにより極秘裏に残留工作はなされ、結果として2600人が残留兵士となった。
奥村和一氏が病床の宮崎舜市中佐に語りかけた内容は、「我々の力が弱いため、裁判に勝てなかった、申し訳ない」という事柄だ。その瞬間、恍惚の人と思われていた宮崎舜市中佐が咆哮する。その咆哮は宮崎舜市中佐による奥村和一氏らへの謝罪の哀哭であり、不正義への怒りの咆哮であったようだ。
2600人に残留を命じた澄田ライ[貝來]四郎司令官は、閻錫山(えん・しゃくざん)将軍に計らってもらい、残留兵士を残したまま、ひとり日本へ帰国した。最低な人物だ。
上映は8月いっぱい、渋谷シアターイメージフォーラムにて。
書籍版として『私は「蟻の兵隊」だった』(岩波ジュニア新書)がある。

私は「蟻の兵隊」だった―中国に残された日本兵 (岩波ジュニア新書 (537))

私は「蟻の兵隊」だった―中国に残された日本兵 (岩波ジュニア新書 (537))

関連 
http://d.hatena.ne.jp/xiaogang/20060805#p1
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20060807/p2

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