カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

1931年9月18日は満州事変勃発の日

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060918-00000005-san-soci
台風13号 突風で特急脱線 九州・中国地方、死者9人に
 突風のため、宮崎県延岡市ではJR日豊線の特急が脱線し6人がけがをしたほか、3人が死亡、100人以上がけが。

列車の脱線事故と聞いて「うわ、公安事件か!? 三鷹事件の再来か? 安倍晋三の後ろの連中、ついにやりやがったか」と思ってしまった。違ったね。75年前の1931年9月18日は満州事変勃発の日。

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毎年9月18日は坂ノ下御霊神社で、ハラミット祭。http://tujik009.hp.infoseek.co.jp/kama/200209men/index2.html http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kids/jh/kjh421_0918.htm
今年は行けないので、金曜のうちに御霊神社へ行き、お参りした。愛しの美少女小学生へ渡すべくお守り購入した。ついでに他の生徒へのお守りも購入。…嘘です。生徒たちへのお守りを買った後、散々呻吟して、神社の外へ行ったり大仏の近くまでうろうろしたあと、ついに決意して美少女小学生にだけ渡すお守りを別買いすべく御霊神社に戻りました。あ、同じことか。ご先祖さま、ごめんなさい。

ぽちっとな  

エリック・ホブズボウム『創られた伝統』

Living, Loving, Thinking http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060918 さんからトラバいただいた。リンク先で紹介されているホブズボウム『創られた伝統』は邦訳も出ている。

創られた伝統 (文化人類学叢書)

創られた伝統 (文化人類学叢書)

歴史学社会学で必ず抑えなくてはならない本の一つ。概要について以前某歴史社会学の先生の講義で伺ったメモを以下に貼っておく。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/1274/1038415480/l50
「創られた伝統 nvention of Tradition 」
「近代化」によって「創られた」にも関わらず、「伝統」だと思われているものを「創られた伝統 nvention of Tradition 」と呼ぶ。歴史学者ホブズボーム Eric Hobsbawm が唱えた。「近代化」以前には、均質な「民族文化」は存在しない。
A
「民族文化」は、資本による大量生産と市場形成、マスメディアによる流通と均質化の結果、創られた。
たとえば、スコットランドのキルトの模様タータンチェックは、スコットランドの伝統だと思われている。部族ごとに異なるタータンチェック模様を持っていると思われている。だが、実際は、イングランドの毛織物を、部族ごとに売った結果、部族の伝統であるかのようになった。
「和食」と呼ばれるものがある。たとえば寿司とホウトウを一緒に食べるとする。これは本来、地域差的に、ありえないことだった。寿司は江戸前のごく狭い地域でしか食べられなかった食品であり、ホウトウは甲州でしか食べられなかった食品だから。
貨幣経済が浸透し身分制度がなくなっていくことで、一部地方の文化、上層階層の文化が、浸透し均質化して、「伝統」が創られる。
たとえば、インドのサティ(妻の殉死)という風習は、上級バラモンのごく一部の、非常に珍しい、めったになされない風習だった。それがナショナライゼーションの結果、インド社会に広がった。
B
「民族文化」は、国家による教育政策・文化政策によって創られた。「近代化」により、「文化財保護」が始まる。ドイツのロマンチック街道は、1950年に造られた。 http://www.hankyu-travel.com/sp/ti/romantic/index.html ドイツの建物は空襲で消滅し、戦後の復興のとき、古い様式を模して造られた。
近代革命は、苦痛を伴う。「こんなに苦しいのなら、中世のほうがよかったのではないか?」という幻想が生まれる。「伝統」と呼ばれる儀式の多くは、19世紀に中世を偲んで、擬古的に創られた「復古」儀式だ。歴史教育で、王家の歴史が「国民の歴史」として紹介される。教科書も印刷技術・写真技術の発展がないとあり得ない。東大寺法隆寺は、一生懸命中国の真似をして作ったものだ。これが「近代化」の中で歴史の再編成がなされ、「日本の文化」と呼ばれる。
C
殖民地経営は、「分割統治」と「間接統治」によってなされた。現地の部族を分け、特定部族のみを優遇し、部族間の対立を煽る。これが「分割統治」だ。

以下数行、カマヤンが勝手に書くけど、たとえばオタク社会を、非エロ創作系に全ての警察権と徴税権を与え、非エロ創作系だけを優遇し、他のジャンルの人々は全て非エロ創作系に従うようにさせる。アニパロジャンルへは非エロ創作系の下働きを命じ、非エロ創作系へ税を支払わなくてはならない、ということにする。こうやって民族対立・宗教対立が生まれる。もちろん非エロ創作とそれ以外のジャンルの対立を作った者は、その対立が深刻化するほど、このオタク社会を楽々と「間接統治」できる。以上、カマヤンが勝手に書いたこと。閑話休題

民族の差異は何を基準にしてもいい。たとえば耳たぶの長さを基準にして、分割統治・間接統治をされたら、人はまず耳たぶの長さを真っ先に気にするようになる。民族対立の理由とされる、肌の色とか、宗教の違いは、この耳たぶの長さと同じだ。
殖民地支配のとき、慣習調査を宗主国は行なった。その慣習調査が「民族」や「宗教」を確定した。
たとえば、コートジボアールには、60の言語がある、とされる。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/cote_d/data.html これを数えたのはフランスだ。だが、言語は数え方による。仮に日本を統治するとき、日本には熊本語と大阪語と秋田語がある、と、カウントしたら日本の言語はいくつだとカウントされただろうか。事実熊本方言と秋田方言はフランス語とドイツ語くらいには違う。
「宗教」も数え方による。シク教ヒンドゥー教の一派だが、西洋人がこれを分けてカウントした。「名指し」されることでアイデンティティが生まれ、分割統治に利用され、対立が生まれた。インド社会はヒンドゥー教徒イスラム寺院へ行くなど、もともとイーカゲンな社会だった。
仮に日本が統治され、禅宗仏教を別の宗教だとカウントして、分割統治に利用されたらどうだったか。あるいは浄土真宗親鸞を開祖とする、仏教とは別な宗教だ、とカウントされたらどうだったか。別な宗教だとする理由づけは幾らでもできる。
カースト」という言葉はポルトガル語だ。インド地方の人々は、なんとなく親の職業を継いでいた。殖民地支配の結果、カーストが「制度」化した。身分制度や男女差別が「民族文化」として確定され、「伝統」化した。
「間接統治」は、身分差別を強化する。地元の大名や村長を「エラく」する。エラいエラいと呼ばれるうち、大名や村長もそんな気になってくる。アイデンティティを固定化する。
1950−60年代に独立した後、殖民地調査をもとに儀式を「復活」させる。殖民地調査の記述をもとに、民族文化・民族意識が作られる。「民族文化」「ナショナリズム」は、市場経済+近代技術+他者からの視線 で創られる。

自民党の歴史感覚は1930年水準くらいに後退しているから、自民党が言う「伝統」というのは、ほぼ全て、「創られた伝統」を無反省に意味している。もちろん安倍晋三に至ってはおそらく生まれてこの方本を10冊も読んだことがないだろうから、1930年代の学問水準からしても低能だ。

ぽちっとな