カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

『進歩と改革』の原稿を描こうと思った

『進歩と改革』の原稿を描こうと思った。描くのにだいたい二日かかる。幸いにして、今週の平日は客がゼロの日がわりとあるので、そのうちの2日間を休日にしたいと申請し、通った。
原稿を描くためには、机が必要だ。
午前中、老母と老父が外出したので、電話番をする。
午後になり、老父が帰宅したので、軽トラックで別棟へ行く。机をトラックに載せる。重い。酷く汚れている。私の通常の衛生感覚なんてこんなもんだ。衛生感覚を何段階か上にしたいと考え、汚れをひたすら取る。表からは机を運び入れることは無理だ。背戸からなら搬入できる。搬入する。運び入れた後、老父が手伝いを申し出てくれる。ありがとう。でももう済んだよ。
原稿を描くには、スタンドライトが必要だ。別棟から軽トラックでスタンドライトが入っていそうな荷物を搬入する。
どれもこれも引越し時の荷物は、服以外すげえ汚れているので、その汚れをひたすら拭う。ついでなので服の多くを別棟から部屋へ運び込む。
衣装ケースが酷く汚れているので、清掃する。
服がバランバランに箱詰めされているのを、仕分ける。
別棟に絨毯が2つ遊んでいたのに気づいたので、そのうち一つを運び、敷く。部屋に対して小さかった。
ふと思い、先日、ホームセンターで購入しておいた暖簾(のれん)と突っ張り棒を、施設のトイレ入り口に設置する。
以上の作業に一日費やす。原稿を描くところに全然辿り着かない。

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「省略」の技術

私は一応マンガ家としての訓練を積んだ。で、「省略の技術」というのを随分体に染み込ませた。ふと思い出すことがあったので、それについて書く。
マンガは読ませる際、いかに読者へムダなストレスを与えないか、が大事だ。冗長はストレスだ。冗長は悪だ。
昔、エロマンガを初めて投稿した時、「ページ数の割に内容が乏しい、薄い」と、名物編集長斎藤礼子さんに評された。斎藤礼子さんとは縁が薄く、その後飲み会で一度お会いしただけだったが、少ないページ数にいかに多い内容を入れるか、を、以後私は指針とした。結果、盛り込みすぎな、「濃い」タイプのマンガ家になったが、ギチギチに内容を詰め込むことは、それはそれで技術だ。
「省略」の技術は、私は小池一夫劇画村塾のテキストで学習した。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050422#1114119222 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20070901#1188599582 なんちゅうかねえ、「どう言うか」についてばかり学習と訓練を積み、「何を言うか」についての学習と訓練が乏しい結果になってしまったのは、自業自得なんだが、残念なことだねえ。
「省略」の基本はこうだ。
書かなくても読者が想像できることは削る。
それを書かないと話が通じない、ということ以外は勇気を持って削る。書いた物を「書く必要があるかないか」確認し、必要がないと判断したらザクザク削る。
時系列で描く必要はない。時系列・構成を変えればもっと短いページ数・字数で伝えられる時は、時系列・構成を変える。
言葉の繰り返しは徹底して避ける。言葉の重複・内容の重複は、ザクザク削る。

たぶんこれと同様の訓練は、映画、シナリオ、テレビ、ラジオなど、特に時間の尺、ページの規定がシビアな職種では積んでいるのだろうと思う。
そういった業界を志している人とか、「読ませる」文章力を高めたい人とかは、上記の原則を心がけてみると良いんじゃないかな、と思う。
私はマンガを描くとき、規定のページ数の倍くらいの話を先に書いて、それをギチギチに省略して、ページ内に収める、ということをしていた。それはそれで少しやりすぎだっただろうが、他人にものを伝えることを訓練したい、と思う人は、何回か試してみても良いんじゃないかな。

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画像は http://piapro.jp/content/zxq4ve4yw0xxc93n から。