カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

余命が20年強30年弱もあることを考えるとウンザリする

1

余命があと20年強30年弱もあることに改めてウンザリした。
とはいえ我が娘は20年後に20歳代中盤、30年後で30歳代中盤、その程度までは俺は生きているべきなんだろうなあ。というか生きてやらないと、と嫁と約束はしたんだが。

2

若かりし頃我慢したり耐えたりした年月は全て無駄で有害だ。老齢になるとその我慢により失ったことばかりに意識が向く。納得できないことに従うべきではないし、ましてや諦めるべきではない。
と、書いて自分自身に刺さるが、そうか諦めるべきではないのか。あと20年強30年弱を諦めずに何事かなすべきであるか。何が可能か。

3

同じ村に住む人々はこんなつまらなすぎる人生をよく生きているものだと思うが、そうか他の人は狂人な我が老母が家族ではないし村落共同体の包括集団が腐れヤンキーなわけでもないよな。家族などから生きるエネルギーを得られる人は幸いだ。と書いて気付いたが嫁と娘からは生きるエネルギーを送ってもらっているか。あまり贅沢言うべきではないか。
俺より内面エネルギーの乏しい人の内面は想像つくが、俺より内面エネルギーが多い人の内面は想像つかない。

4

老齢が近づくことは人格の安定を意味しない。
老母譲りのヒステリー症は俺を規定している。これは遺伝ではなくて家庭文化の伝染継承だ。厭な家庭文化だ。残念だ。

5

余命に生きる価値を覚えないが、『けものフレンズ』の今後数話と、みなもと太郎風雲児たち幕末編』を読み切ることは、余生の楽しみとする。
しかしあと20年強も余命があるのか。そんなにいらんわ。ここは「悪い場所」だ。

6

昔得た占いによると、日常においては可能な限り心の刃を鞘に納めておけ、との卦を得た。正しい。鞘をイメージせよ。

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