カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「大東亜共栄圏」のイデオロギー(建前)

 歴史学者ジョン・W・ダワーの『容赦なき戦争』の中に、わりとコンパクトに大東亜共栄圏イデオロギーが書いてある。ところでイデオロギーは「虚偽意識」などと訳されるが「建前」が一番訳として馴染みがいいかな、と思い、冒頭小見出しのようにした。

容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別 (平凡社ライブラリー)

容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別 (平凡社ライブラリー)

家族イデオロギー

 家族精神と家族国家が日本人の道徳基準での個人的人格を打ち破ったのと同様に、今日〔大東亜戦争時〕の世界では、「道義的新秩序」が、国際法によって統治されている個々の国々の古い秩序に取って代わっている、と報告書〔1981年に発見された、1943年7月に厚生省が執筆した『大和民族を中核とする世界政策の検討』〕は続いて述べていた。〔略〕
 〔略〕父親的温情主義という最高の表現を保つには、家長の権威は愛によってやわらげられなければならなかった。〔略〕その頃大いに流行した独善的な格言である「恩威併用」だった。
 つまるところ道徳が、科学と法律に優先したのである。〔略〕時代おくれのブルジョア西洋の「法の支配」は、より道義的、現実的な「人による統治」に取って代わられたのである。
 〔略〕日本人は、全世界を天皇のもとに一つの幸せな家族として結び合わせることが目標であると述べていた。〔略〕(462-469p)

 大東亜共栄圏イデオロギー(建前)が国内ではどう展開したかについて、丸山真男が述べているところを以下に記す。

現代政治の思想と行動

現代政治の思想と行動

超国家主義の論理と心理」

 〔略〕今年〔1946年〕初頭の詔勅天皇の神性が否定されるその日まで、日本には信仰の自由はそもそも存立の基盤がなかつたのである。〔略〕国家が「国体」に於て真善美の内容的価値を占有するところには、学問も芸術もそうした価値的実体への依存よりほかに存立しえないことは当然である。しかもその依存は決して外部的依存ではなく、むしろ内面的なそれなのだ。〔略〕何が国家のためかという内容的な決定をば「天皇陛下天皇陛下ノ政府ニ対シ」(官吏服務規律)忠勤義務を持つところの官吏が下すという点にその核心があるのである。そこでは、「内面的に自由であり、主観のうちにその定在(ダーザイン)をもつているものは法律の中に入つて来てはならない」(ヘーゲル)という主観的内面性の尊重とは反対に、国法は絶対価値たる「国体」より流出する限り、自らの妥当根據を内容的正当性に基礎づけることによつていかなる精神領域にも自在に浸透しうるのである。
 従って国家的秩序の形式的性格が自覚されない場合は凡そ国家秩序によつて捕捉されない私的領域というものは一切存在しないこととなる。我が国では私的なものが端的に私的なものとして承認されたことが未だ嘗てないのである。〔略〕(15p-16p)
 〔略〕それ自体「真善美の極致」たる日本帝国は、本質的に悪を為し能わざるが故に、いかなる暴虐なる振舞も、いかなる背信行動も許容されるのである!(18p)
 〔略〕慈恵行為と残虐行為とが平気で共存しうるところに、倫理と権力との微妙な交錯現象が見られる。軍隊に於ける内務生活の経験者は這般の事情を察しうるであろう。彼らに於ける権力支配は心理的には強い自我意識に基づくのではなく、むしろ、国家権力との合一化に基づくのである。従ってそうした権威への依存性から放り出され、一箇の人間にかえつた時の彼らはなんと弱々しく哀れな存在であることよ。だから戦犯裁判に於て、土屋は青ざめ、古島は泣き、そうしてゲーリングは哄笑する。(20p)