カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

過日、俵義文の講演を聞きに行った。

 以下、内容と、感想。

〔内容〕

 (カマヤンの理解がぁゃιぃところはカッコに入れて記述してます。正しいところが分かった時点で随時修正していきます)
 2001年は教科書採択の年だった。その年「つくる会」は活発に活動した。2005年も教科書採択の年だ。
 俵義文は、「教育基本法改悪」に反対している。「つくる会」に対抗している。
http://www.linkclub.or.jp/~teppei-y/tawara%20HP/
http://www.ne.jp/asahi/kyokasho/net21/
 四年前、「つくる会」の「歴史教科書&公民教科書」採択問題があった。
 「つくる会」は97年1月に結成された。東京23区全てに支部がある。2000年総会での会員数は1万人だった。
 「つくる会」を代弁した議員として小山孝雄がいた。安倍晋三中川昭一らとともに「日本の将来を考える若手議員の会」を構成していた。小山孝雄は後にKSD事件で逮捕された。小山孝雄は「教員の意見を聞いて教科書を採択するのは違法だ」と国会で質問した。大島理森文部大臣(当時)は以下の答弁をした。

 大島理森文相 教科書選定については、毅然(きぜん)として、やはり教育委員会の判断で行うことが当然であろうと思う。間違っても組合の意見によってとか、そういうことがあってはならない。今、委員からご指摘いただきましたように平成2年の初等中等局長の通知があり、この基本はいっさい変わっていない。あらためて各教育委員会などに対しては、先生方の熱心な議論があったことを踏まえながら、適切にしっかりとした指導をしてまいりたい。

http://www.ne.jp/asahi/kyokasho/net21/siryou_jimukyokutusin0101_koyama.htm
 「つくる会」は地方議員に(つくる会教科書を採択するよう)陳情をそれまで繰り返していた。(2000年?)8月に大島文部大臣発言があった。この文部大臣発言を利用して、つくる会は採択圧力をかけた。採択の権限は(各地方の)教育委員会にある。
 大島理森文部大臣発言は、閣議決定違反だ。以下の閣議決定が97年、98年、99年と、三回、発表されている。

 (初等中等学校における教科書の採択制度に関し)将来的には学校単位の採択の実現に向けて検討していく必要があるとの観点に立ち、当面の措置として、教科書採択の調査研究により多くの教員の意向が反映されるよう、現行の採択地区の小規模化や採択方法の工夫改善についての都道府県の取組みを促す。
http://www.ne.jp/asahi/kyokasho/net21/siryou_kiseikanwa97.htm

 三回同じ内容の閣議決定がなされるのは異例だ。同じ内容で三回閣議決定が繰返されたのは、文部省がそのための施策を何もしていなかったからだ。そして今も何もしていない。
 (2000年に大島大臣発言があり?)教科書採択には(教員の意見は外され?)教育委員会採択になった。 2001年7月、つくる会HPでは早々と「目標の採択率10%に内定した」と書かれた。だが結果的には「つくる会」への反対運動が起き、全国542地区のうち、1地区も採択しなかった。「つくる会」教科書を採択したのは、東京と愛媛で知事権限で養護学校で、それと8つの私立校だけだった。
 中学教科書は一点20万分売れないと黒字にならない価格設定になっている。かつて「あゆみ出版」というところが新たに教科書を作ったことがあった。一地区でしか採択されず、800冊しか売れなかった。広域採択制はそういう仕組になっている。
 扶桑社は2000年まで優良企業だった。2001年に「つくる会」教科書を出し、億単位の赤字を出した。財界からバックアップされ、どうにか生き延びている。
 2001年8月16日に、「つくる会」は「四年後にリベンジする」と発表した。今年も8月に向け採択運動を行なうだろう。採択地区は、今回は600地区に増える。
 先月末「つくる会」がシンポジウムを開いた。西尾幹二は「10%採択が運動継続の絶対条件だ」と述べた。「2002年9月17日の拉致問題以降、『空気』が一変した。『つくる会』にとって有利だ」とも述べた。
 かつて一万人いた「つくる会」の会員は、現在は7800人程度。
 「つくる会」は日本最大の右翼団体日本会議」と協働して、教育基本法改悪を狙っている。民間教育臨調には札付きの右翼を入れている。かつて「つくる会」は「(我々は)右翼でも左翼でもない」と自称していたが、今は完全に右翼だ。
 自民党は、自社さ政権の時、自民党としての第2次世界大戦総括を出した。自民党「歴史検討委員会」が出した大東亜戦争総括は以下だ。
 1;大東亜戦争は祖国防衛戦争であり、侵略戦争ではなかった。
 2;従軍慰安婦などはでっちあげである。
 3;「事実」ではないことの書いてある歴史教科書を廃し、新しい教科書が必要だ。
 4;その意識を国民に定着させるための国民運動が必要だ。
http://www.linkclub.or.jp/~teppei-y/tawara%20HP/2003.12.3/1.html
 この自民党総括が出されたのは、日本の侵略戦争責任を認めた「村山談話」が出されたのと同じ日だ。
 「国民運動」は学者を前面に出し、自民党は後ろから金銭的にバックアップすることにした。「学者」として選ばれたのは藤岡信勝であり、藤岡信勝自民党へ紹介したのは高橋史朗だった。高橋史朗は「日本青年協議会」という学生組織を作った人物だ。
 「つくる会」のイベント「正しい歴史教育を子どもたちに」には河村文部大臣が来賓で出席した。河村文相は「同志の皆さん」とイベントで発言した。河村文相は「教科書議員連盟」に参加していた。文部大臣は教科書検定の責任者である。このイベントには東京都教育長横山も参加していた。
 99年に、教科書出版7社に首相官邸から「従軍慰安婦問題は慎重に扱え」と直接電話があった。当時は森首相のときだった。官邸から実際にかけたのは官僚だった。森首相の秘書官をしていた町村信隆議員がかけさせたと思われる。
 つくる会」の「公民」教科書は酷い内容に変わっている。「主権在民」と「国家主権(国家は主権を持っている)」をゴチャゴチャにしてある。現在の戦争を正当化しようという位置付けた。個人と国家の関係を逆転させようとしている。国家を個人より上に置こうとしている。
 「教育基本法」は、国民の教育権を定めている。「教育基本法」は戦前の「教育」を180度変えた。「教育基本法改悪」は、それをもう一度転換・転倒させることが狙いだ。
 2003年都教育委員会通達を受けて、「つくる会」は「国旗を舞台に掲げるのは国際的常識である。参列者全員に強制するべきだ」と発言した。http://www003.upp.so-net.ne.jp/eduosk/toukyou-sinntuutatu.htm
 高橋史朗は「上からの『教育改革』と、下からの『教育改革』が必要だ」と述べている。「心のノート」は、そのための、9年間かけるプログラムだ。
http://homepage3.nifty.com/gakuronet-takatsuki/soto.html
http://homepage3.nifty.com/gakuronet-takatsuki/soto_040418_3.html
 「教育基本法改悪」と呼んでいるが、実際には、現在の教育基本法を廃止して、新しい教育基本法を作る、という仕組だ。新しい教育基本法は提出されかけている。中教審答申が出て2年経つ。
http://www.ishii-ikuko.net/staff/kihonhou/020604.htm
http://www.ishii-ikuko.net/staff/kihonhou/020716.htm

高校教科書

 かつて、1986年、「日本を守る国民会議日本会議の前身)」が原書房から高校向けに出した。一万冊売れた。大赤字だった。次の改定の時、原書房は撤退した。
 その教科書は国書刊行会が引継いだが、採択は5000冊を切った。国書刊行会も撤退し、その教科書は明成社が引継いだ。4000冊ほど採択されている。ほとんどが私立高校だ。東京だと堀越学園など。公立高校は福岡県で採択している学校がある。明成社日本会議の出版部で、石井公一郎が社長だ。

日本青年協議会全日教連

 「日本青年協議会」は1970年、高橋史朗椛島有三衛藤晟一(えとう・せいいち)自民党議員らによって作られた。綱領は「日本国憲法を廃し、帝国憲法に原点回帰する」というものだ。日本青年協議会には教員が多数参加している。この教員らは「全日教連」という組織を作っている。福岡・山口・佐賀では日教組以上の規模になった。「全日教連」のイベントには公明党の浜四津議員が出席している。

「イギリスの教育」

 イギリスの教育に学べ、という声がある。が、イギリスの教育はそんなにいいのだろうか? 平沼赳夫視察団がサッチャー改革を真似るべくイギリスに視察に行った。これを東大勝野教授が再検証している。イギリスでは「子育て命令法」というのがある。内容は、子どもが非行に走ったら親は通学動向と帰宅後の監視をしなくてはならない、3ヶ月から1年のカウンセリングを受けさせなければならない、といったもの。
 「イギリスの教科書は」と「つくる会」はしばしば言うが、イギリスには教科書検定制度もないし採択制度もない。
教科書制度がイギリスと日本では全然違う。19世紀の数学の本を教科書にしている教師もいるし、教科書を使わないこともある。