戦前の二つの教育体系
十五年戦争の始まるまで、日本の教育体系は二つに分かれていました。小学校教育と兵士の教育においては、日本国家の神話に軸をおく世界観が採用され、最高学府である大学とそれに並ぶ高等教育においてはヨーロッパを模範とする教育方針が採用されていました。(55p)
戦時期日本の精神史―1931~1945年 (同時代ライブラリー)
- 作者: 鶴見俊輔
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1991/10/15
- メディア: ペーパーバック
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後者(インテリ)が前者(非インテリ)を操る設計にしていたが、後に前者(非インテリ)に後者(インテリ)が振りまわされることになる。正確には、慶應大教授蓑田胸喜などが前者(非インテリ向け神話)世界観を展開し、後者(理性的世界観)を攻撃し日本の理性を壊していく。まあ歴史的必然だなあ、とは思うが、これを歴史的必然だと捉えた言説は今のところあまり見てない気がする。根の深い問題だからね。
中心のインテリが周縁の非インテリを支配する設計にしていても、社会が発展し周縁の非インテリ層に力がついてきたら、やがて周縁が中心の特権層(インテリ層)に挑戦をはじめるのは当然だと思う。問題は、嘘であり方便である神話を教育に使っていたことにあるかな。分裂症になるよう設計していたら、分裂症の症状はいずれ出るわな。周縁を、統治対象・当然に服従すべきもの・人間以外、という前提で組んだ設計は、周縁に力がつき周縁から野心家が生まれ、中心が脆弱なヘタレだらけになっていたら、そりゃ壊れるわな。
「つくる会」が復活させたがっているのは戦前の非インテリ向け小学校教育・兵士教育なんだな。それは「思い出」だろ、教育とちゃうわ。と、思う。100年前の非インテリ向け「嘘」を今更、素で復活させてどうすんねん。現実とフィクションの区別つけろ、バカ。だからフィクションを叩いているのか、「つくる会」系のバカどもは。
十五年戦争をコンパクトに知る入門書にあまりいいものがないなあ、と、私は感じていたけど、鶴見俊輔の『戦時期日本の精神史』は入門書として結構いいなあ。今度からこれを人に薦めよう。