カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

俵義文講演感想3

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050212/1108234066
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050215/1108492404
の、続き。
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俵義文氏の発言内容は、「日本会議」「つくる会」について詳細に語られ、それ自体は有意義に感じた。
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が。イベントの空気は、そこはかとなく宗教臭かった。いや、モノホンの新興宗教が絡んでいた、という意味ではなく、なんか構造と言うか、空気がね。たぶん「つくる会」「救う会」のイベントもそっくりなんだろうね。敵対しあっている者同士は似るって言うしね。参加者は底抜けにお人好しであまりもの知らない人々、講師は膨大な情報を持っていて、その情報を上流から下流に流す、という構造。
「宗教臭い」と思った理由の一つは、「つくる会」教科書に対して、冷淡に客観的に対象として捉える、というのではなくて、実際に教科書に何が書かれているかという事実を淡々と解析するのではなくて、情緒的に煽情的に参加者を煽る、という、そういう感じだったから。
…カマヤンの俵義文評(ていうか、イベント評)はちと酷(こく)すぎるかな、とも、思うが、対象(この場合、「つくる会」及び「つくる会教科書」)を捉える際はドライに、対抗理論は理性的に、が望ましいと思うので、そこから測ると、違和感があった。
…客層がねえ、たぶん、「つくる会」と「反つくる会」とねえ、似てるんじゃないかなあ、と、想像するんよ。であるのに、対象をドライに語るのではなく煽情的に語るというのは、対立者(この場合、「つくる会」の末端構成員)との対話可能性を減らし、同じ信仰(偏見)を持つ者同士(「反つくる会」同士)が信仰(偏見)を固くする、という作業に見えるんよ。
3;
カマヤンがほしいのは情報なわけよ。「反つくる会」とカマヤン共通の敵である「日本会議」や土屋たかゆき高橋史朗についての情報なわけよ。そこを煽情的・情緒的に語らないでほしいわけよ。
同じ煽情・同じ情緒喚起でもって、ごく簡単に、「アンチポルノ運動」に転換する、そういう「空気」は勘弁なわけよ。
エロマンガ擁護論」なんて、それこそ理性だけでしか他者に理解してもらうことは不可能なわけよ。情緒喚起したら、安易で怠惰な道徳論に転落するほうが人間楽なわけよ、で、「エロマンガ擁護論」の敵は情緒喚起「だけ」でやっているわけよ。情緒喚起に易々服しているような、そんな連中生産されると困るわけよ。共通の敵である「日本会議」にとって、御しやすい、分断工作しやすい人間を生産されるのは、カマヤンには憂鬱なわけよ。
ということで、聞いていて、気の重いイベントでした。
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講演に、知り合いの市議会議員が来ていたので、挨拶。
資料として俵義文の本を数冊購入。
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で、「採択させないための運動」とか言っていたんだけどさ。
採択させたくないのなら、「つくる会」教科書を使った場合と、全国平均とで、大学合格率・進学実績の比較表を作れば一発だと思うんよ*1。「つくる会」教科書には受験に必要な情報(たとえば従軍慰安婦などへの記述)は欠けていて、受験に不必要な情報(古代の天皇の記述)がたんまりあるから、受験に不利なんよ。そのデータを出せば、採択率下げさせるのはわりと簡単だと思うんよ。少なくとも第三者に対し、説得力が増すと思うんよ。(そうでもないのかなあ。しつっこく「ゲーム脳」論がワイドショーで連呼されるといったことがあるからなあ…)
…しかしながら「反つくる会」の人々は、学力偏重教育を既定値で否定されているみたいで(なぜ? 理解不能)、「心の教育」重視論者なので*2「受験に不利だから『つくる会』教科書を使わないのが賢明」という論は、「反つくる会」運動には、期待できないっぽい。我々が主張するべきなんだろうね。
イデオロギー的に「つくる会」の教科書が存在するのは「悪いことだから」可能ならばこの世から抹消したい、という文脈で運動展開されると、私らにゃ困るんよ。同じロジックでエロマンガ規制論に「日本会議」が捻じ曲げるのは確実だから。
むしろ、「検定制度廃止」の一点で「つくる会」に共闘呼びかける、くらいの「作戦」がほしいと思う(ひょっとしたら四年前に試みがなされたかもしれないけど)。
いやあ、そりゃあ当然、「つくる会(=日本会議)」が素直に共闘しようなんて応えるわけもないし、共闘はあり得ないんだが。しかしながら、政治活動・政治行動とは手続きだべ? 正当性だべ? 少なくとも当方から向こうへ筋の通った呼びかけをした、しかし彼らは拒絶した、という手続きは重要だべ。
つくる会」「自由主義史観」は、さまざま言葉での「呪的闘争」しかけているんだから、酷い言い方すると「呪的闘争」「言葉の攪乱」だけで成立させているような「運動」なわけだから、それと戦うには「手続き」がたいへん重要だとカマヤンは思うんだよね。
自由主義史観」という言葉自体が、極めて「呪的闘争」「言葉の攪乱」なように感じますです。「復古史観」「自慰史観」だべ。アンチリベラリズムだべ。つまり「アンチ自由主義」史観だべ。
  参照;「呪的闘争」http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/535/1039730401/

*1:中学教科書だから、有名高校進学率になるかなあ。「つくる会」教科書は、東京と愛媛では知事権限で養護学校で、それと8つの私立校で使用されている。

*2:この点で「つくる会」と「反つくる会」は表裏かつ一体関係なんだよね…学校で道徳教育は、少なくとも日本ではムリだ、それは塾にでもやらせろ、と、カマヤンは思う。…なにしろ森喜朗が文部大臣をしていた国だ。森喜朗文教族のドンである国だ。こんな国では国家による道徳教育なんてムリだ。