カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

メディアは戦争にどう関わってきたか

たいへんに良書である。
ポーランドの「ビスワ川の奇跡」がもし広く報道されていたら第二次世界大戦は全く違う様相を示していただろうし、「冬戦争」がもし広く世界に報道されていなかったらフィンランドへの世界の評価は全く変わっていただろう。
日露戦争で日本が勝ったのは英米メディアの恩恵によるものであり、日本はそのことに最後まで無頓着だったから十五年戦争に敗北する。そして日露戦争講和条約締結時にはロシアが欧米メディアを味方にすることに成功したから、日本はロシアに譲歩せざるを得なかった。といった事例がさまざま書いてある。

たとえば以下、日中戦争の事例。

田中上奏文」に関しては戦前から多くの研究が行なわれ、国内ではほぼ偽書と断定されていた。(59p)
だが日本、ことに外務省は、「プロパガンダ」の恐ろしさにかなり鈍感だったようである。(60p)
松岡〔洋右〕は「上奏文の用語に熟して」いれば誰でも偽物と見抜くだろうと言った。だが、「熟して」いたのは日本人でも一部。まして一般の欧米人が「容易に」偽物と見抜けたとは到底思えない。〔略〕
〔略〕プロパガンダに対抗する最も有効な武器はメディアを活用しての応戦、場合によっては別のテーマを取り上げての攻撃である。しかし、この問題で欧米や中国メディアを使って必要十分な対抗作戦を展開した形跡は見つからない。
〔略〕大日本帝国は中国戦線の泥沼に踏み込んだことで破滅への道を進むが、中国側で日本の運命を決定づけたとも言える女性がいる。宋美齢である。日中戦争を通じ、日本軍は戦闘では中国国民党を圧倒し続けるが、宣伝戦では終始中国側の優勢が目立った。その立役者が宋美齢だった。〔略〕(62p)
一八九七年、キリスト教のバイブルを印刷して富豪となった宋嘉樹の三女として〔宋美齢は〕上海に生まれた。長姉アイ齢は大富豪孔祥熙と結婚。次姉慶齢は辛亥革命清王朝を倒した革命家孫文に嫁いだ。美齢は十一歳で米国に留学、ジョージア州の名門ウェイズリイアン女学校に学び、マサチューセッツ州ウェルズリー大学に転じて二十歳まで米国で過ごした。一九二七年、国民党南京政府の実権を握った蒋介石と結婚。この結び付きは国際的な脚光を浴びた。〔略〕
宋美齢が留学中に築いた人脈と米国人の宋美齢に対する親愛感は、中国の立場を世界に主張する大きな力となった。彼女はいきいきとメディア戦に立ち向かう。〔略〕(63p)
〈「蒋夫人のデマ放送」【ホノルル特電十一日発】十一日午前十一時半南京から蒋介石夫人の英語宣伝がNBCの中継で当地でも明瞭にこれを聴取することが出来た、夫人は「日本軍が無辜の婦女子を虐殺している」と日本誹謗に重点を置き、米国一般民衆の同情を惹くことにこれ努めその宣伝効果は相当大きいものと思われた〉〈三七年九月十三日付朝日新聞夕刊〉
米国仕込みの英語を駆使し、また米国人の心理を知り尽くして訴える宋美齢の「中国の声」は、ボディーブローのように効いたようである。〔略〕(64p)
軍事史家・西岡香織は、当時の状況について、「中国大陸における権益の競争者である日本に対し、英米仏等は完全に支那側に立ち、蒋介石政権もそれを徹底的に利用して国際世論を引きつけたのである」と書いている(西岡香織『報道戦線から見た「日中戦争」 陸軍報道部長馬淵逸雄の足跡』)。英米仏が権益の競争者であったことは間違いない。だが、国際世論を引きつけたのは権益をにらんだ各国の政治的立場よりもむしろい、宋美齢を中心とした懸命の宣伝戦の成果であったと考えられる。(66p)

これら事例を読みつくづく思うのは、兵器偏重主義な言説は、兵器ビジネスに雇われている連中でしかない、ということだ。
私の「国防論」は圧倒的に正しい。
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050129#1107020504

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