カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

高年齢処女率と、孤島・ティコピア島

「童貞問題」記事http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060206#1139178296言説が接続しているようで、そのこと自体は嬉しい。

http://d.hatena.ne.jp/tomoco/20060214 
以上より、30〜34歳の女性の性交未経験率=0.264x0.372=0.098 つーことで、処女は10人に1人ってこと? 実感としてはありかな。
問題なのは、童貞であることでも処女であることでもそのメンタリティでもなく、出生率が低下しているということであり、イコール生き物として生殖能力が低下しているということじゃないんだろうかと、このへんを読んで思った。そう考えると生き物として30代の童貞や処女はやっぱり不自然なのではないか。*1

この投稿を読んで、以下を連想した。ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊』下巻から。

ティコピア島での居住を持続可能にするためのもうひとつの必要条件は、人口を安定させ、増やさないことだ。〔略〕ティコピア島では、避妊やその他の規制に沿った行動の目的は、島が人口過剰になることを防ぎ、家族が自分の土地で支えきれる以上の子どもを持たないようにするためだと、住民がはっきり口にする。例えば、ティコピア島の首長たちは、毎年儀式を執り行ない、島のための《人口ゼロ成長》の理念を説く。〔略〕
ティコピア島の伝統的な人口制限の七つの方法のうち、最も簡単なのは、性交中絶法による避妊だった。もうひとつの方法は、出産の近い妊婦の腹部を圧迫したり、熱した石を腹部に載せたりして引き起こす堕胎だ。また、別の選択肢として、新生児を生き埋めにしたり、窒息させたり、うつ伏せにしたりして、嬰児殺が実行された。貧しい家族の次男や三男は独身を貫き、結果として余剰となる適齢期の女性たちも、一夫多妻制のもとで結婚するよりも、独身でいることを選んだ――ティコピア島では《独身》とは子どもを持たないことを意味し、性交中絶法を行なったり、必要なら堕胎や嬰児殺に頼ったりすることを禁じられてはいない。さらにもうひとつの方法は、自殺だ。一九二九年から一九五二年までのあいだに、首吊りによる自殺が七例(男性六人、女性ひとり)、海へと泳ぎ出る入水自殺が十二例(すべて女性)あったことが知られている〔当時の島人口は1278人〕。そういう明らかな自殺よりもずっと一般的なのは、危険を承知で航海に出る《事実上の自殺》で、一九二九年から一九五二年のあいだに八十一人の男性と三人の女性の命を奪った。この種の航海は、未婚男性の死因の三分の一以上を占めていた。航海が事実上の自殺なのか、あるいは単なる若者の無謀な行動なのか、判別しがたい事例もあったが、混み合った島で飢饉が起きたときの、貧しい家族の次男や三男の暗い先行きについては、おそらくたびたび考慮されていただろう。〔略〕
今日、ティコピア島の首長たちは、島民の数を制限し〔略〕千百十五人までとしている。(30-33p)

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)

環境がもたらすある種の圧力によって「童貞」「処女」が、おそらく相対的に貧困な層で増えるのではないか、とカマヤンは思う。
関連 「パラサイト」@ルワンダ

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060130#1138555118
フツ族ツチ族による虐殺で後に有名になったルワンダでは、〕コミューン〔共同体、村〕のすべての土地はすでに占有されていたのだから、若者たちにとって、結婚して家を離れ、農地を手に入れて自分の世帯を整えるのは困難なことだった。しだいに、若者は結婚を先延ばしにして、親もとで暮らし続けるようになった。例えば、二十〜二十五歳の年齢層では、親もとで暮らし続ける若い女性の比率が、一九八八年から一九九三年の間に三九パーセントから六七パーセントに増え、若い男性の比率は七一パーセントから一〇〇パーセントに増えた。一九九三年には、親もとを離れて暮らす二十代前半の男性はひとりもいなくなったのだ。そのことは明らかに、次に解説する破滅的な家族間の緊張を生み出す一因となり、一九九四年の激発へとつながった。(下巻75-76p)

ところで、本文にはティコピア島は「大西洋南西部」と書いてあるが、本文に収録されている地図を見ると太平洋(ニューギニア近く)にある。誤植なのだろう。
「童貞問題」記事http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060206#1139178296へのコメントで克森さんが「男性同性愛者だから童貞」である場合が暗数になっていることを指摘されていらっしゃるが、とりあえずここではそういうケースは無視します。同時に、克森さんが「孤独」の問題として一般化するほうが適切かもと指摘されていらっしゃるが、それは適切かもしれない。貧困にあると孤立化し、貧困は外から見えなくなり、さらに孤独になる、というスパイラルがある。
経済収縮期には、主観的要因より「貧困」という外的要因から観察する方が妥当だろうと私は思う。現在は長期波動での経済収縮期だ。だからその少ない取り分を「(政治的・経済的)強者」たちが分捕りあい、相対的(政治的・経済的)弱者は静かに「自殺」していく。

ぽちっとな 

*1:引用にあたり、改行に手を加えました