カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「善」と「悪」に世界は二分するはずだと思っているかもしれない君へ

「善」と「悪」に世界が二分する「はず」だと考えるのは極めて幼稚な思考である(フロイト学説で言う肛門期的段階である)。
「善の本性を持った人」と「悪の本性を持った人」がいる「はず」だと前提するのは、誤った世界像である。カルトはこういう世界像を好む。幼稚な人々を釣りやすいから、というのは好む理由の一つである。もちろんカルトは自分を「善の本質を持つ」と自称する。
「良い行為をした人」と「悪しき行為をした人」がいる、と捉えるのが妥当な世界像である。人間は常に善行をし続けることは無理である。同様に絶え間なく死ぬまで悪行をなし続けるのも人間には無理である。人が人を評価するのはその行為を通じてである。
「悪の本性(本質)」「善の本性(本質)」が実在すると前提する思考法を「エッセンシャリズム(本質主義)」とも呼ぶ。エッセンシャリズムは特定人間集団を、多くの場合民族集団(エスニック集団)を、「悪の本性を持つ」「善の本性を持つ」と決めてかかる。たとえば「コリアンは悪の本性を持つ」としつっこく連呼している「嫌韓」厨は、「エッセンシャリズム」の典型である。偏見がまずあり、その偏見に色々な知的まやかしを塗りつけ粉飾する。
「善の本質」を持つがゆえに特定集団が「無謬(間違いをおこなさない)」である、とする思考法は、どこまでも(自身の)残酷行為を許す。何かを「無謬」であると前提すると、どこまでも残酷になれる。自身を「無謬」であると前提した集団の行為は、外から見たときは「悪」そのものである。
他民族より大和民族は道徳的に優れていると自己宣伝し続け残虐行為を繰り返した旧日本軍や、ゲルマン民族は他の民族よりあらゆる面で優秀であり当然に道徳的にも優秀であると自己規定したナチズムや、マルクス主義は他の思想より道徳的に優れていると自己宣伝し続け残虐行為を繰り返した旧ソ連や、アメリカの「自由」と「民主主義」は他の国家の制度より道徳的に優れているから他の国家を先制攻撃(これは国際法違反である)していいと自己宣伝・自己撞着したネオコンや、高級官僚は他の国民より優秀だから無謬であると自己規定している連中は、外から見たとき、同じ醜悪さを持つ、「悪」そのものである。
人に可能な「善」は、自己を省みる行為の中にある。最も醜悪な「悪」は、何かを「無謬」であると前提する知的怠惰にある。

ぽちっとな