カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

「俺を愛せ、さもなくば死ね」と脅迫する何か

1 ラ・ロシュフコー箴言集』(岩波文庫

愛国心」とは「恋愛」にひょっとしたら似ているのだろうか。
ならばラ・ロシュフコーの以下の箴言(しんげん)を「俺を愛せ、さもなくば死ね」と脅迫する何かへ贈ろう。

思慮分別と恋とは相性がよくない。恋が高じるにつれて分別は減る。(186p)

国家という公共財を「情緒」でしか判断できない馬鹿を生産する行為は、決して「愛国」的ではないし、公徳的ではない。
《国家という公共財を「情緒」でしか判断できない馬鹿》を生産したがっている詐欺師もしくは馬鹿どもへは、同じくラ・ロシュフコーの以下の箴言を贈ろう。

気違いと馬鹿は気分でしか物を見ない。(119p)

「俺を愛せ、さもなくば死ね」と脅迫するアレは、虐待している父親が「俺を尊敬しろ、さもなくば死ね」と喚いたりする感覚とか、ストーカーの対象への執着にとてもよく似ている。

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫 赤510-1)

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫 赤510-1)

2 [00:25]

ふと思ったんだが、「国家」は憲法 constitution(骨子、構造、体格、「国体(笑)」)によって成立しているのだから、「愛国心」という不明瞭な言説は避けて「憲法を愛する心」と具体明言化するのなら、同意可能である。
しかしながら、その規定はすでに憲法99条に明文化されている。

日本国憲法99条
天皇又は摂政及び国務大臣国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

もちろんここで尊重義務・遵守義務を要請されているのは内閣・国会・司法の各統治権力である。
今「教育基本法」改訂作業をしている国会議員はどうもこの憲法( constitution「国体」)を改変・破壊するための布石として、「統治権力を憲法( constitution「国体」)以上に愛せ、さもなくば死ね」という「違憲」立法をしようとしているみたいだね。それは「愛国的」ではないし「公徳的」ではないし「遵法」でもない。
「愛国」を要請する、すなわち「憲法 constitution(「国体」)を尊重する」のならば、「教育基本法」改訂に反対せよ。

3 [01:21] 大江志乃夫『靖国神社』(岩波新書

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060415#1145036623 の続き。
大江志乃夫『靖国神社』(岩波新書)から、以下引用。

国家神道以前の神社神道は、〔略〕自然宗教的な性格を持った民族宗教という定義のなかに入れられている。〔略〕〔だが〕国家神道は、〔略〕創唱された新しい宗教であるということができる。〔略〕国家神道が特殊な創唱宗教であるのは、第一に創唱者が特定できないこと、第二に一見体系的な教義が存在しないこと、第三に民族宗教を越えた普遍性が見られないこと〔略〕であろう。(78p)
これらの特殊性は国家神道がまさに国家神道として創唱された、いわば天皇教とでもいうべき宗教として成立した特殊性にもとづく。(78p)
国家的宗教であるがゆえに、民族宗教を越えた普遍性を持つことができなかったのは事実であるが、当事者自身は決してそのようには考えていなかった。日本が植民地を獲得しあるいは外国を占領すれば、台湾神宮、朝鮮神宮から昭南神社(シンガポール)に至るまで各地に神社を創建した事実がこのことをしめしている。天皇教の基本経典ともいうべき教育勅語は、「之を中外に施して悖(もと)らず」と、その普遍性をうたいあげている。布教者は国家自身であり、神職は国家の官職であった。(78-79p)

新興宗教「国家神道」の経典が「教育勅語」だというのは非常に本質を突いている。「教育勅語」を経典とする当時生まれた新興宗教(「国家神道」でも「靖国神社」でもない、いわゆる新興宗教)すら現在も存在する。

国家神道では〕「天皇」は、〔略〕温情に溢れた最大最高の「家父」として人間生活の情緒の世界に入りこんで、日常的親密をもって君臨する。(79p)

こうした多義的な体制観念が渾然一体化していったことによって、むきだしの権力行使も、〔略〕「涙の折檻、愛の鞭」として温情と仁慈の所産とされ、権力が権力としての政治的存在理由を主張する近代的国家理性を失う。このことによって、支配者は政治的理性と責任意識をも自己隠蔽して、そこに権力の無制約な拡延が生み落とされた。(80p)
〔略〕「軍人勅諭」のもとで、「中隊長は父、班長は母」の擬制家族を形成し、「涙の折檻、愛の鞭」の名のもとに無制約の私的暴力〔リンチ〕による秩序の世界を成立させたのが「天皇の軍隊」であったことに、この特質はもっとも典型的にしめされている。(80p)

新興宗教「国家神道」のもう一つの経典は「軍人勅諭」である。新興宗教「国家神道」の世界はマゾヒズムに支配される。かつてニーチェキリスト教社会をマゾヒズム社会と呼んだそうだが、「国家神道」はキリスト教社会をモデルとした新興宗教だからマゾヒズム的性格を受け継ぎ、日本的情緒の世界で拡大した。新興宗教「国家神道」のマゾ性格を最も端的に顕している宗派が新興宗教「靖国神社」である。
憲法 constitution すなわち道理を軽蔑せよ、統治権力を愛せ、さもなくば死ね、という民衆への要請は、理性思考のできないマゾを生産する。能力の乏しい、権力という地勢効果にだけ助けられている脆弱な統治者群には、国民が理性思考のできないマゾばかりになるほうが楽チンではあろう。しかしそれでは国家は総体として脆弱化する。
新興宗教「国家神道」を再演しようという脆弱な統治者群及びそれに群がるマゾヒスト群は「国賊」と呼ばれるべきだろう。

靖国神社 (岩波新書)

靖国神社 (岩波新書)

4 [02:10] ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』岩波書店

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060213#1139762265 から再掲。
ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』(岩波書店)上巻から。

日本軍の集団としてのまとまりや規律は、軍部がくりかえし宣伝した「忠」とか「和」とかいった理念の上にではなく、実は上から抑圧を強制していく権威的な仕組みの上に築かれていた。〔略〕
降伏後、こうした感情は、はじめて公然と表現された。一九四六年五月、ある復員軍人は〔略〕『朝日新聞』に、苦悩に満ちた典型的な投書をした。それは、自分と戦友たちが南太平洋の島〔南鳥島〕で耐えなければならなかった「飢餓の地獄絵図」と、上官たちから受けた虐待に関するものであった。それによると、将校よりも兵隊の餓死率がはるかに高かったといい、自軍の指揮官たちの暴虐によって殺された戦友たちの霊を、どう慰めたらいいのかと問いかけていた。昔の侍の言葉に、敵を「冥土の土産にする」というのがある。これは自分が死ぬときは敵を道連れにするという意味であったが、自分の戦友たちは、いざ玉砕のおりには敵ではなくて上官の一人を冥土の土産に連れていくつもりであったと述べている。〔原注;朝日新聞社編『声』第一巻(一九四五−一九四七年)朝日文庫、一九八四年、一八二頁。〕
その数ヶ月あと、『朝日新聞』が、虐待をおこなった将校にたいして、降伏後に部下が「リンチを加え」て殺したと報じたところ、読者から一八通の反応があった。二通をのぞいて、みな将校殺害を支持する手紙であり、あわせて自分が体験した将校たちの野蛮さと腐敗ぶりを説明していた。たとえば、朝鮮で従軍していたある兵隊は、現地の将校たちの女遊びと飲酒について語っている。〔略〕
日本の降伏の前には考えられなかったこうした実態暴露は、「一億一心」なる戦争中の宣伝が、たわ言にすぎなかったことを白日の下にさらした。(55p-57p)
司法制度は、とるにたりない経済犯罪のかどで年間一〇〇万人以上の庶民を被告席につける一方、模様眺めの資本家、腐敗した政治家、暴力団の組長たちが社会を牛耳り、闇経済で一番甘い汁を吸いながら、完全に自由の身のままであった。(132p)
後日行なわれた調査記録を読むと、影響力をもつ人々の非常に多数が、天皇の放送が行なわれた後の二週間の混沌の間に軍の倉庫から勝手に物資を持ち出し、軍事予算や日本銀行から急いで代金を支払ってもらえるよう軍需業者や旧友のために手を打ったり書類を破棄することに、目が覚めている時間のほとんどをあてていたとの印象は拭えない。日本史上最大の危機のただ中にあって、一般大衆の複利のために献身しようという誠実で先見性ある軍人、政治家、官僚はほとんどいなかった。旧エリートからは、賢人も英雄も立派な政治家も、ただの一人も出現しなかったのである。
その後の調査によれば、帝国陸海軍が保有していた全資産のおよそ七〇%が、この戦後最初の略奪の狂乱のなかで処分された。もともとこれは、本土約五〇〇万人と海外三〇〇万人余りの兵士のためのものであった。だが、話はこれで終わったわけではなかった。降伏から数ヵ月後、占領軍当局は、それまで手付かずできちんと管理されていた軍の資材の大半を、公共の福祉と経済復興に使用せよとの指示をつけて、うかつにも日本政府に譲渡してしまったのである。これら物資の大半は、建築資材と機械類であり、内務省は財閥系企業の五人の代表からなる委員会にその処分を委任した。その総価値はおよそ一〇〇〇億円と見積もられたが、これらの資材もすぐにほとんど跡形もなく消えうせた。(133-134p)
  出典;ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて・上巻』(岩波書店、2001年)

当時の1000億円は現在の1000兆円くらいの価値になる。これら、国民資産を隠匿した連中の子孫が今再び「我々特権層を愛せ、さもなくば死ね」と我々民衆に要請しているのが「教育基本法」改訂である。
将校とはすなわち軍部官僚である。高級官僚ならびに統治者群は繰り返し国を滅ぼし国民資産を私物化隠蔽化し、さらにいけ図々しく「我々統治者群を愛せ、さもなくば死ね」と我々民衆に要請しているわけである。
この上、泥棒に追い銭をするのなら、日本の民衆はお人好し過ぎる。

敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人

敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人

関連
■「国体の本義」「臣民の道」と靖国宮司松平永芳http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060329#1143567203
■「天皇聖断」伝説という国内向け宣伝戦 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060327#1143409047
藤原彰『餓死した英霊たち』http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060319#1142707731
■「ナショナリズム」と「公定ナショナリズムhttp://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060220#1140368017
■太平洋戦争中の生活 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060215#1139955647
昭和天皇の軍事責任 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060214#1139862482

我が同志は  をクリックされたし。