カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

山口定(やすし)『ファシズム』岩波現代文庫

山口定(やすし)はファシズム研究の第一人者。山口定のファシズム研究をちゃんと読んだことがなかったので、読んでみた。たいへん示唆に富んでいる。ファシズム研究の現在の先端がどうなっているのかを丁寧に説いてあった。
以下は本の中では枝葉部分になるが、まずはヒトラーの『わが闘争』での大衆観の部分を引用する。示唆という意味で、立ち返り考えるべき部分だからだ。

ナチスの「開かれたエリート」の理論の根底にどのような大衆蔑視の思想がひそんでいたかは、ヒトラーの『わが闘争』の「宣伝」に関する部分をひもとけば直ちに明らかになることである。ここでは、そのなかで、彼の大衆心理への洞察力の鋭さが徹底した大衆蔑視の思想と不可分の形でからまり合っている有名な文章のいくつかを採録しておくことにする。

「宣伝はすべて大衆的であるべきであり、その知的水準は、宣伝の対象となるべき人々の中で最低級に位置する人でも理解できる程度に調整すべきである。したがって獲得すべき大衆が多くなればなるほど、純粋の知的水準はそだだけ低くしなければならない」(『わが闘争』上巻、二五九頁)。
「大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい。この事実をふまえる時には、すべての効果的宣伝は、重点を厳しく制限して、しかもこれをスローガンのように利用し、そのことによって、意図されたものが、最後の一人にいたるまで思い浮かべることができるように継続して行なわれなければならない」(同、二六〇頁)。
「民衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮よりもむしろ感情的な感じで考え方や行動を決めるという女性的素質を持ち、女性的な態度をとる。しかしこの感情は複雑ではなく、非常に単純で閉鎖的である。……肯定か否定か、愛か憎か、正か不正か、真か偽かであり、決して半分はそうで半分は違うとか、あるいは一部分はそうだがなどということはない」。したがって「ただ無制限な、あつかましい、一方的な頑固さによってよみ」宣伝は成功するのである。(同、二六四頁)。
「大衆はその鈍重さのために、一つのことについて知識をもとうという気になるまでには、いつも一定の時間を必要とする。最も簡単な概念を何千回もくり返すことだけが、結局は覚えさせることができるのである」(同、二六六頁)。

ファシズム』183-184p

ファシズム (岩波現代文庫)

ファシズム (岩波現代文庫)

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