カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

「つくる会」と「日本会議」

上杉聰さんによる記事から抜粋引用。 

http://www.h2.dion.ne.jp/~kyokasho/1106kousin/060619.htm

日本会議と「生長の家」元学生部

 この「日本会議」(97年結成)については、〔略〕04年に大佛次郎論壇賞を受けたケネス・ルオフ『国民の天皇』(共同通信社)が、その後きちんとした分析を行っている。それによると、紀元節の復活ないし建国記念日の制定を求めた1951〜66年の運動を出発点とし、本格的には1968年から79年にかけて元号法制化運動を担い、四六の都道府県議会と市町村議会の過半数となる約1600の決議を推進するまでに大衆化(つまりポピュリズム化)した宗教右派勢力を背景とした団体である。現在は、靖国神社への首相の公式参拝憲法の改悪への動きを作り出し、今年の春も皇室典範の改正を挫折に追い込んだ。今進められている教育基本法の改正についても、それを推進する中心的な勢力となっている。
 その核となっているのは神社本庁(その政治局としての神道政治連盟)だが、ブレーンおよび活動家として指導的な地位にいるのが「日本青年協議会」である。この「日本青年協議会」は、現在そこから分かれた「日本協議会」と一体となって行動しているが、もとは70年前後の学生運動に対抗する目的で設立された組織で、実体は生長の家」学生部であった。その後、創始者・谷口雅春氏から二代目に移って方針が変わり、「生長の家」そのものは現在こうした活動を停止している。そのため彼らは同協議会の名を借りて活動を継続しているのである。全国キャラバン隊や地方議会決議という日本会議が今進めている運動手法は、もとは彼らが編み出したものであった。
 「つくる会」への彼らの影響力をみると、昨年9月の総会で承認された21人の名誉会長・会長・副会長・理事・事務局長のうち5人が、また後に行動を共にすることになる八木氏も加えるならば6人が、日本会議のメンバーかその同調者ということになる。さらに、早稲田大学時代から日本青年協議会で共に活動してきた人物に、前「つくる会」副会長の高橋史朗氏もいる。彼は宮崎氏の後輩にあたり、「高橋君」と呼ばれていたという。「つくる会」の内部に日本会議がいかに大きな位置を占めているかということである。
 『国民の天皇』においてルオフ氏は、「紀元節復活と元号法制化を目指して国会に圧力をかけるため、右派の団体はこれまで左翼運動につきものだったさまざまな草の根運動のテクニックを取り入れた。こうした右派の組織は日本の(中略)『市民社会』の一部を構成しており、政治的影響力は無視できない。一方にリベラル、他方に保守的な国家を想定するといったあまりにも単純な二分法は、このあたりでやめた方がよさそうである」(226頁)とし、「米国の最右派団体、キリスト教連盟と同じように、神社本庁は個々の市民と国家との間に位置する市民社会の中に確固たる位置を占めている」(274頁)と書いている。これが現在のポピュリズム宗教右翼の実態であることにもっと関心を向けるべきであろう。

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