カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

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「一撃論」妄想

日本現代史には繰り返し「一撃論」つーのが出てきて、状況を悪化させている。たとえば日中戦争も「一撃論」、すなわち中国にキツイ一撃を見舞わせたら中国は折れて降伏するはず、という見通しによってなされ、全くそうはならず、日本は敗北した。
対米戦争も同様にハワイなどに「キツイ一撃」を加えればアメリカは戦意喪失するはずだ、という見通しの下に開始され、アメリカは全く戦意喪失せず、日本は敗北した。
例に出すのが通俗本で恐縮だが、陳舜臣司馬遼太郎などの描く中国史を読んでいたらそんな発想(「一撃論」発想)は生まれないだろうに、と思うんだが。(はいはい、陳舜臣司馬遼太郎は戦後の作家ですね、宮崎市定の中国史でも良いですよ、日中戦争当時ではちと若すぎるけど。)日中戦争での日本の振る舞いは三国志での董卓軍の振る舞いに似ている。
思うに「キツイ一撃」をお見舞いすればいい、強硬な姿勢でいくのがいい、強面でいくのがいい、という「迷信」は、それを語る者の内面の投影で、つまり「一撃論者」は「キツイ一撃」でヘロヘロになるような脆弱な内面の持ち主だ、ということなのかな。たしかに日本の近代化は薩英戦争などの「イギリスによるキツイ一撃」の結果、先進近代国家には平伏、後進国家には残虐、という基本枠組みが生まれたが、しかしながらたとえば中国は「アヘン戦争」という「先進近代国家によるキツイ一撃」から、国土と国家を恢復する(辛亥革命、北伐)、という経緯を辿ったわけであり、アヘン戦争時点では近代国家との間に圧倒的な力の差があったものの、日中戦争時点では中国(国民党軍+共産党軍)と日本軍との力の差はかなり縮まり、日本に屈服しなくてはならない要因はほとんどなかったのだが(日中戦争アヘン戦争の100年後、明治維新の70年後、日清戦争の43年後にあたる。)。昭和史の、日中戦争の頃の「日本(政府・軍部)」の発想は、近視的で想像力に欠けている、言い換えると死ぬほど自己中なのだが、21世紀の現在でも1937年当時と同じ発想枠組みでしか思考できない人々は、人間としての練度が足りなすぎるのではないかと思われる。
練度の足りない人間に権力を与えると、国を滅ぼす。1937年と現在はその意味でもよく似ている。
関連。「クッキーと紅茶と」■NHKスペシャル日中戦争」を見ました(1)http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20060812/p1
「とむ丸の夢」 日中戦争〜なぜ戦争は拡大したのかhttp://tomkari.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/13_6331.html

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