カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

南京虐殺犠牲者数議論

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/1274/1052070202/ から再掲。
 不毛になりがちな南京事件の数字論争については教授から以下のように教わりました。

南京虐殺の犠牲者数議論

 中国政府は30万人説を主張している、その根拠は当時の遺体埋葬記録だ。日本軍の南京占領後、南京市内・南京城区に放置・仮埋葬されていた、軍人・民間人の遺体を、南京の宗教団体・慈善団体・個人が、火葬または土葬にした。その遺体埋葬数が約26万体。以下が、東京裁判に証拠資料として提出されたもの。

【埋葬団体・個人】 【埋葬遺体数】
南京市崇善堂.     11万2266体
紅卍字会.          .4万3071体
下関区            2万6100体
伍長徳.             約2000体
魯甦            約5万7400体
張鴻儒・楊広才      約7000体
無縁仏 .            約3000体
合計            約26万体 〔上記人数をそのまま足すと、25万0837体〕
 洞富雄『日中戦争南京大残虐事件資料集』第1巻 青木書店378頁。

 上記の埋葬記録のうち、詳細な記録(埋葬日・人数・性別・死体発見場所など)が残っているのは、「南京市崇善堂」(慈善団体)と、「紅卍字会」(宗教団体)の2団体。
 この2団体の活動は他の資料や戦前の日本側の記録でも裏づけがとれるので、かなり信憑性が高いと見られている。「南京市崇善堂」と「紅卍字会」が埋葬した 15万5337体は、ある程度再検証が可能だ。だが、残り約10万体は詳細な記録が残されておらず、現時点での再検証が不可能だ。
 中国政府は上記26万(25万?)を基礎にして「30万」としている。
 日本の歴史研究者の多くは、遺体埋葬記録のうち15万人ぶん(「南京市崇善堂」と「紅卍字会」の埋葬ぶん)を確度の高い数字として採用し、揚子江に流してしまった遺体数を2万以上と推定し、南京事件の中国人(軍人と民間人)犠牲者総数を「15万から20万」「20万前後」「20万を下らない」としている場合が多い。犠牲者数には諸説ある。
 が、「虐殺はなかった」というのは学説ではなく、政治的主張である。

南京事件で、議論を混乱させやすい点〕

 「南京」と呼ばれる場所は、「南京市」「南京城区」「国際安全区」がある。広さは、南京市 > 南京城区 > 国際安全区。 「南京市」の中に「南京城区」が、「南京城区」の中に「国際安全区」がある。 1937年12月当時の、それぞれの人口は、南京市;200万、南京城区;100万、国際安全区;10万以上。
 「虐殺」は南京城区を中心に行われ、結果、避難民が国際安全区に押し寄せ、国際安全区の人口は20万人さらに25万人になった。小林よしのり『戦争論2』幻冬社では、「国際安全区人口」を「南京人口」だとすり替え、「元々南京には20万人しかおらず、とても20万人も30万人も殺すことはできない」と主張している。だが、南京市人口が200万、内側の南京城区だけで100万の人口がいたことは、小林よしのりは無視している。
 この人口の他に、蒋介石軍が十数万人いた。

 「一般住民への虐殺」と「捕虜への虐殺」を分けるのは不可能だ。軍服を脱ぎ一般住民に紛れ込んだ中国兵(一般住民と見分けがつかない)を日本軍は摘発し、捕虜として連行し、「処理」した。当然その中には多数の一般住民も混ざっていたと思われる。この摘発は一般民家にまで踏み込んで行われ、その過程で、一般住民への暴行・虐殺、逮捕連行された後の「処理」が起きた。

 従軍慰安婦関係文献
鈴木裕子『「従軍慰安婦」問題と性暴力』未来社

「従軍慰安婦」問題と性暴力

「従軍慰安婦」問題と性暴力

川田文子『戦争と性―近代公娼制度・慰安所制度をめぐって』明石書店
戦争と性
吉見義明『従軍慰安婦資料集』大月書店
従軍慰安婦資料集

従軍慰安婦資料集

吉見義明『従軍慰安婦岩波新書
従軍慰安婦 (岩波新書)

 2-1
 吉見義明氏は、小林よしのり氏や「新しい教科書をつくる会」から「自虐史観」だと激しく攻撃され、生活を脅かされるような脅迫すらあったそうだ。その過程で「吉見が誤りを認めた」というデマが意図的に流された。が、依然として吉見氏の『従軍慰安婦』(岩波新書)が慰安婦問題を考える上で最も基本的な文献であることに変わりはない。吉見氏がこの問題を研究する第一人者であることに変わりはない。
 2-2
 「その時代に生きていないからわからない」と考える必要はない。歴史学が成り立たなくなる。その時代を生きていないと判らない」ことは確かにあるが、「その時代の真っ只中に生きていたからこそ、その時代の特徴が判らない」こともある。戦中戦前のように情報が統制されていた時代ならなおさらだ。人間がその時代の特徴や事件の意味を判るためには、どうしても一定の時間が必要だ。後世の人間には後世の人間なりの、大権のない人にはない人なりの歴史の「判り方」があるから、現代人として史料から歴史をどう見たらよいか考えるのがいい。
以上のように教授から教わった。ここにメモしておく。

ぽちっとな   にほんブログ村 政治ブログへ