カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「霊の戦い」

以下、興味深い記述があったのでメモする。

二十世紀の後半、とりわけ一九八〇年代以降に世界のキリスト教に起こった注目すべき出来事のひとつは、聖霊の働きやその体験を重視するグループの大規模な台頭である。(237p)
この運動の特徴としては、異言、預言、悪霊祓い、神癒、手を高くあげて聖霊に満たされたとされる恍惚状態での礼拝、リズミカルな歌と踊りによる賛美、などがあげられる。(238P)
八〇年代以降にアメリカの福音派〔ブッシュが信仰〕を中心に活性化した聖霊運動キリスト教シャーマニズム〕では、「霊の戦い」がひとつの重要な標語となった。聖霊運動が非キリスト教圏の風土に伝道しようとすれば、当然そこにあった在来の信仰と衝突する。これら異教の礼拝対象はいずれも悪魔の手先、あるいは悪霊として一括される。〔略〕布教伝道は文字通り、聖霊と悪霊の戦いの場として解釈される。
キリスト教をいまだに頑固に受け入れない国、たとえば日本などを典型とする地域では、さらに高度な「戦略レベルでの霊の戦い」が必要とされる。〔略〕地域を支配してキリスト教の定着を妨害してきた悪魔の活動を、全体的に打破しようというものである。「十/四十の窓」などと称して、ユーラシアからアフリカ大陸にかけての北緯十度から四十度までを、悪霊を打破すべき重点地帯とする理論もある。
具体的には、そのスペシャリストとされる伝道師たちを海外から招き、各地の有名な神社・仏閣・霊山などの「悪霊の要塞」を訪れて、所有権をサタンから主イエスに取り戻す宣言が行なわれる。何人かのグループで皇居の周囲や伊勢神宮などをまわって、悪霊の支配からの解放を祈る、などという企画もある。内容は悪霊の打破と追い出しだが、現象的には通常の参詣や巡礼にそっくりの行動となる。いわば巡礼の裏バージョンである。
じっさい、多くの遍路で賑わう四国の八十八ヵ所では、その悪霊からの解放を祈って巡り歩くキリスト教徒がいる。(239-240)
「霊の戦い」とは、アメリカ主導の経済的グローバリゼーションの宗教版にほかならない、という悪口も聞かれる。背後に政治的な保守主義者やキリスト教ファンダメンタリストの後押しがあることはまちがいない。(240P)

死者の救済史―供養と憑依の宗教学   角川選書 354

死者の救済史―供養と憑依の宗教学 角川選書 354

日本の「宗教右翼」はこのアメリカ宗教右翼のデッドコピーだから、日本古来の霊を守るための戦いなんかひとつもしておらず、アメリカ宗教右翼の犬っころとして「日本会議」なんていう国辱的政治組織運動などをしているようだ。
こういう「霊的戦争」は古来から行なわれているし、第二次大戦でも盛んに行なわれたし、国内行政でもしばしば行なわれている。たとえば上野の西郷隆盛像は幕府軍彰義隊の戦没地を睨んでいる。幕府軍の怨霊を西郷隆盛像で封印するためだ。その西郷隆盛像を睨み封印しているのが、靖国神社に立つ官軍の司令官村田蔵六像である。京都の鬼門には比叡山が置かれ、江戸の鬼門には日光東照宮が置かれている。これらは「霊的戦争」「霊的防衛」の典型である。余計なことだが、正距方位図法で見ると、日本の鬼門である北東の方角にアメリカは存在する。裏鬼門の南西の方角はマレー半島インドネシアになる。日本は太平洋戦争では鬼門に存在する敵と戦い、裏鬼門の方角へ進軍した。
我がブログの分類項「呪的闘争」も、この「霊的戦争」を意識している。

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