カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか

エクパット東京が文章規制を求めている件とかその他

2chでこういうものを拾った、と、友人から教えていただいた。

ユニセフの裏に居る(規制案の賛同者に名を連ねている)エクパットは『文章』の規制も訴えています。 http://otaku.rulez.jp/kill_the_assholes/p_mate_01_03/ecpat_02.jpg とりあえず「規制しやすそうな」『漫画』を口実に法規制し創作全般に網を広げる算段なのでしょう。この事はあまり語られる事は少ないですね。

まあ創作全般つーか、情報統制全般だよね。以下、その友人へ送った手紙。
「創作規制」は、「政治的言説」「政治的議論」の封殺のための一里塚、というのがふつうの順番だと思います。つまり 「難癖をつけやすいエログロ創作規制 → 創作全般の規制 → ジャーナリズム全般の規制(政治的言論の自由の規制)」  これが普通考えられる順序だと思うんですが…
現在の日本は9・11以降、物凄い勢いで本丸のほうが統制されましたんで、つまり新聞テレビの文書化されない自主規制によって「政治的言説の自由」の統制はなされているんで、「児童ポルノ法」で突っ張ってももはや半分手遅れの感がないわけではなかったり。
インターネット統制立法がラッシュなのも、この広範囲な情報統制政策の流れで、最後の言論空間・情報未統制領域である、言い換えるなら「市民的自由」の最後の生息域であるインターネットを統制するための立法群だと思われます。とはいえ、議員レベルでもそのことに気づいてないお人好しというかバカというか、そーゆー人が恐ろしいほどたくさんいるみたいなんで、「気づけよ」とアナウンスすることは意味があるかと思われます。
まあ、竹花豊のなりふりかまわなっぷりを見ると、存外消化試合ではなく、ここが実は本試合なのかもしれませんが。
マンガ規制反対活動は、政治的背景や党派の皆無な人々(オタクとその周辺)が統制へ違和感表明し政治を観察する、ということを10年以上学び続けた変な市民運動で、規制している側は「情報統制」しようとしていて、規制される側は「生活の統制」(オタクによって文化や情報は生活そのもの)だと受け取っているこのズレは、意外に生産性があるんじゃないかとも思っています。
 竹花豊 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/archive?word=%C3%DD%B2%D6%CB%AD

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