カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

補足。「調教」するのは嫌です…

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20080726#1217003757の補足。メモ。

1;

何人か「物心のついていない」http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20061011#1160521802生徒を担当している。一人はそれなりに好成績。成績劣悪で「物心のついていない」生徒が複数。
「物心のついていない」生徒を指導するのは、動物を「調教」するのと全く同じで、なかなかに耐え難い。それでも成績劣悪な生徒を「調教」するのは止むを得ない。耐え難くても自分で納得できる。
問題はそれなりに好成績で「物心のついていない」生徒への対応。これが困る。同じ教室にいる、その生徒以外の生徒は「人間」だから「人間」として対処するのが道理で、「人間」として対処しないと効果が上がらない。が、一人だけ「物心がついていない」ので、彼には「調教」で振舞わなくてはならない。これがつらい。自分を軽蔑したくなる。道理が通じないので「調教」モードで振舞わざるを得ず、そうしている自分を一歩引いて見ると本当に嫌気が差す。でもって「人間」な生徒たちが私に似た感性を持っていたら、持っていてほしいしたぶん持っているんだが、持っていたら私を軽蔑する。つれえ。
この、それなりに好成績だけど「物心のついていない」生徒をいかに勉強させるか、事前に保護者と約束していたんです。保護者は私の約束を信じているんです。私はその生徒が多少は「物心」がついてきたかと期待していた矢先だったんです。でもって「調教」モードに入るのなら入るで徹底しなくてはならないのだが、徹底し損ねてしまった。徹底し損ねるというのもこれはこれで保護者との約束を裏切ることになる。で、自分で自分を軽蔑したくなる。
「調教」モードとはサディズム的思考をトレスすることであり、私はこのサディズム的思考パターンっつーか、恫喝とか恐怖とかで直接に他人をコントロールするっつーのを非常に軽蔑しているので、それを自分がするというのが本当に情けなくて堪らない。何が嫌といって、サディズム的快感が頬を一瞬撫でるのが嫌だ。またサディズム的思考とは「幼稚」な思考だと私は思っているので、「動物」のごとき人間に対して(人間は動物ではないのだが)「幼稚」に振舞うというのは、なんつうかもお、自分を軽蔑せずにいられない。
 (関連http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20070901#1188599582

2;

コマの数はわりと今年少ないのだが、なぜか疲労がひどい。コマは少ないが担当している生徒数はそれなりに多く、わりと手間のかかる生徒が多い。
手間が比較的かからない生徒たちはお気に入りな生徒なんだが、そのお気に入りの生徒の保護者に色々つまらないことで迷惑をかけてしまった。自分を軽蔑したくなる。この詳細は語らないこととする。
これに前後して、塾で自分が責任を負う事柄が果たせていなかったことが判明。深刻な事態にはならなかったが社員たちには深刻な事態になってもおかしくなかった。どうも周囲に迷惑をかけている。

3;

それとは別に、比較的手間はかからないが成績がたいへんアンバランスで、国語だけ異様にできて他の教科の成績が不振な生徒にだけ国語の宿題を減らした。その行為が公平なものと他の生徒が感じられるための伏線や説明を欠いていたので、不公平であり、自分を軽蔑した。これはその後公正感を生徒に与えることに成功したようで、一つ負担が減った。
それとは別に、比較的手間のかからないお気に入りな生徒に過剰につらく当たってしまった。この生徒へのフォローはどうにか成功したが、フォローを入れる前は憂鬱だった。
それとは別に、比較的手間のかからないわりとお気に入りな今ひとつ成績不振な生徒に過剰につらく当たってしまった。この生徒への対応は公正ではない。まだフォローできていない。明日にでも早急にフォローせねば。私は人を叱るのが下手だ。「調教モード」に入ろうとするとムリがあちこちに生じる。

4;

疲労がひどいので鍼を打ってもらったり灸をしたりしたが、あまり効いていない。「足の裏マッサージ」が自分には一番効くみたいなんだが、効く「足の裏マッサージ」チェーン店が閉店していて、ほぐしてもらえない。
神経性の疲労らしい。以上書いていてやっと自分で気づいた。
自覚が薄かったけど夏バテもあるかな(;´Д`)ノ

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画像はhttp://piapro.jp/content/20yg5gerfrcerbiyから。