カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか

城内康光

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「きまぐれな日々」http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-789.htmlで「サワヤカな安倍晋三」に言及してもらった。そのコメ欄に

城内実さんは、「私の父は一度も神奈川県警に勤めたことはない」とブログで書いています。

というのがあるんだけど、

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060610#1149871655
城内康光は、自分のレイプスキャンダルを山口組後藤組に隠蔽してもらってなんかいない。
城内康光は神奈川県警本部長時代に後藤組の資金源だったオウムの犯罪を隠蔽なんかしていない。

の情報源はhttp://www.jca.apc.org/~altmedka/ron-38-ya1.html http://www.jca.apc.org/~altmedka/ron-38-yam.html
城内康光の経歴の確認をしたいんだが、webだけだとイマイチよく分からない。

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ところで城内康光をweb検索していたらこんなの見つけた。

http://wiki.a-auc.jp/ura/c/22/36.html#.E8.91.97.E5.90.8D.E3.81.AA.E9.96.A2.E4.BF.82.E8.80.85
静岡県立浜松西高等学校・中等部
出身者   国松孝次(元警察庁長官)   城内康光(元警察庁長官)

オウム狙撃事件で殺害未遂された人物と、殺害関与疑惑のある人物が同じ中学校出身者。

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城内康光の絡んだ警察内抗争

http://blog.goo.ne.jp/blue-jewel-7/m/200601/1
 辛光洙事件の場合、日韓で法制度が異なる上に全斗煥大統領率いる軍事政権下で(拷問を含む取調べで)得られた「辛供述」の証拠採用に当時の日本検察首脳らが否定的だったことが立件を見送った理由のひとつであったが、最大の要因は捜査指揮に当たっていたリーダーの突然の交替だったという。
 韓国の辛光洙事件摘発の発表からわずか1ヶ月余の85年8月、警察庁警備局長・柴田善憲(1955年入庁)が近畿管区警察局長へ、柴田の後任と目されていた警視庁公安部長・福井與明(57年入庁)が埼玉県警本部長へと、揃って”放逐”された。
 当時の警察庁内部では、政治家への接近を深めるいわゆる”政治派”と警察の政治からの独立を守ろうとする”独立派”の間で、警察庁始まって以来といわれるほどの熾烈な派閥抗争が展開されていた。
 しかし、”独立派”のリーダー・三井脩警察庁長官(旧内務省1946年入省)が退官すると、その三井人脈に連なる柴田や福井らが一転”政治派”から「報復人事」(警察庁OB)を受けることになった。
 そして後任の警備局長には三島健二郎(56年採用)が、警視庁公安部長には城内康光(58年採用、後に警察庁長官=落選した城内実前議員の父上、らしいです)がそれぞれ就いたが、捜査指揮を執るにはいずれも「非力」(前出OB) であった。特に、三島新警備局長は外事課長時代に、外交問題にまで発展した「文世光事件」で「かなり痛い目にあっているので、このときも再び政治に巻き込まれるのを嫌った」(警視庁OBの言)という。
 また城内はその後警備局長に昇進する。88年3月26日参院予算委員会日本共産党・橋本敦委員から辛光洙事件の共犯として韓国当局に逮捕された安永奎(アンヨンギュ)の供述内容を問われ、「この北朝鮮工作員、安永奎が1978年に次のような指示を上部から受けておるということを承知しております。すなわち45歳から50歳の独身日本人男性と20歳代の日本人女性を北朝鮮に連れてくるようにという指示を受けていたということでございます」と、胸を張った。

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