カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

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アメリカの情報機関が持つ日本の日刊紙、工作の巧拙

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以下、有馬哲夫『昭和史を動かしたアメリカ情報機関』平凡社新書)からメモする。

1955年11月7日にマックス・ビショップ(当時の肩書きは国務次官付工作コーディネーター)が合衆国情報局長官セオドア・ストレイバートに書簡を送り、日本の知識人を親米化するために日刊紙や雑誌を始めてはどうかと提案している。
日刊紙や雑誌まで始めることを考えていたことには驚く。それに対するストレイバートの回答はさらに驚愕すべきものだった。
彼は「すでに一紙持っているので、予算の関係でそれはできない」と答えているのだ。(169p)
〔略〕この日刊紙は、占領中に参謀二部が買い取ったものを占領が終わったときに合衆国情報局(占領終結の翌年1953年に設立)に引き継いだものだと見られる。(170p)

この機関〔合衆国情報局〕は合衆国広報庁とも訳されることがあるが、単なる広報と違うところは、それがニュートラルな情報ではなく、ホワイト・プロパガンダを意図しているということだ。また、この機関は文化交流や人的交流などをも手がけるが、それは心理戦を意図して行っている。アメリカ国民の税金を使って国策として行うのだから当然なのだ。〔略〕
この合衆国情報局は1992年クリントン政権で廃止された。(30p)

ホワイト・プロパガンダとは虚偽を交えないプロパガンダをいう。〔略〕ブラック・プロパガンダとは虚偽を交えたプロパガンダをいう。
ホワイト・プロパガンダとブラック・プロパガンダを分けるのは、そうしないと敵はすべてアメリカが流す情報はすべて虚偽だと思うようになり、何をいおうと一切無視するようになるからだ。嘘は嘘ばかりだと効き目がない。〔略〕本当のこととない交ぜにすることによって、迷ったり、撹乱されたりするようになる。(24-25p)

アメリカは1950年代の初め、アジアと南アメリカの諸国のテレビ導入を援助しようとした。それは表向きテレビ導入の形をとりながら、その実、軍事通信網を築き、強化し、あわせてその通信網を使って反共産主義プロパガンダを流し、さらにアメリカのテレビ受像機を売るという情報・外交政策だった。(29p)
これに関わったのが国防総省国務省、中央情報局で、心理戦委員会がこれをコーディネートした。日本(ほかにフィリピン、韓国、台湾)へのテレビ導入はこのような政策のもとに行われた。(29p)

以上メモする。アメリカの情報機関が持っている日刊紙って産経新聞のことだろうね。合衆国情報局が廃止された後はどこが引き継いでいるんだろう。
[05/07 02;57]コメント欄で崎山伸夫さんが指摘するところでは、産経新聞ではなく読売新聞だろうとのこと。

昭和史を動かしたアメリカ情報機関 (平凡社新書)

昭和史を動かしたアメリカ情報機関 (平凡社新書)

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ここんとこ情報機関関連の本ばかりなぜか読んでいるんだけど、ティム・ワイナー『CIA秘録』文芸春秋社)によると、CIAによる工作は世界中で失敗だらけだったそうだ。日本はその工作が成功した数少ない例で、岸信介賀屋興宣(かや・おきのり)がCIAから資金援助を受けていた。ちなみに賀屋興宣石原慎太郎の政治上の師匠にあたる。で、岸信介はCIA資金で自由民主党を作り、日本の外交政策をアメリカの望むものに変えることと軍事基地を維持することをアメリカに約束し、総理大臣となった。岸信介とアメリカの連絡役はクライド・マカボイという。以下、ティム・ワイナー『CIA秘録』(文芸春秋社)からメモする。

外国の政治家を金で操ることにかけては、CIAは七年前〔1948年〕にイタリアで手がけていたときより上手になっていた。〔略〕信用できるアメリカのビジネスマンを仲介役に使って協力相手の利益になるような形で金を届けていた。〔略〕
アイゼンハワー〕大統領はCIAが自民党の主要議員に引き続き一連の金銭を提供することを承認した。CIAの役割を知らない政治家には、この金はアメリカの巨大企業から提供されたものだと伝えられていた。この資金は少なくとも十五年間にわたり、四人の大統領の下で日本に流れ、その後の冷戦期中に日本で自民党の一党支配を強化するのに役立った。(上巻180-181p)
ダレス〔CIA長官アレン・ダレス〕は賀屋を自分の工作員と見なしていた。(上巻183p)

このCIAの資金はマーシャル・プランにより生まれた。

からくりは驚くほど単純だった。議会がマーシャル・プランを承認した後、五年間にわたって百三十七億ドルの予算が組まれた。マーシャル・プランから援助を受け取った国は、同じ額を自国通貨で別途用意しなければならなかった。この資金の五%、つまり合わせて六億八千五百万ドルが、マーシャル・プランの海外支局を通じてCIAに供された。
これは世界的規模での資金洗浄のスキームだが、冷戦が終わって相当時間が経つまで秘密にされていた。ヨーロッパやアジアでこの計画によって潤ったところでは、アメリカのスパイたちも潤った。(上巻52-53p)

日本での工作は例外的に大成功したが、他の国への工作は失敗に次ぐ失敗だった。「秘密や欺瞞はアメリカの得意とするところではなかった。(上巻10p)」

失敗を成功と言いくるめる能力がCIAの伝統になりつつあった。過ちから学ぼうとしたがらないことが、CIAの文化になった。〔略〕現在でさえも、教訓を学び取るためのルールや手続きは皆無に近い。(上巻93p)

ダレスは自分が頭の切れる、専門的な諜報機関のボスとして見られることを望んでいた。新聞は忠実にそのイメージを映して伝えていた。しかしCIAの資料は、それとはまったく反対の事情を明らかにしている。(上巻118p)

ところで日本のwebでの「ネット工作」があまりにもお粗末ではないか、と感じる人が多いようだけど、「お粗末な工作」はむしろアメリカによる工作としては基本形であるらしい。

アイゼンハワー政権下では、四十八カ国で新たに百七十二件の大きな秘密工作を進めていた。政治活動、心理戦争、それに準軍事活動的な戦争も含まれていたが、これらの任務を遂行する国々の文化や言語、歴史や国民について、アメリカのスパイたちはほとんど何も知らなかった。(上巻117p)

朝鮮戦争では、CIAソウル支局長の〕ヘイニーは二百人を超えるCIA要員を使っていたが、そのうちだれ一人として朝鮮語を話せるものがいなかった。支局は採用した朝鮮人工作員に依存していた。(上巻91p)
ヘイニーが雇い入れた重要な朝鮮人工作員はすべて― 一部ではなく、全部が ―詐欺師だったことを知った。〔略〕CIAが〔朝鮮〕戦争中に集めた秘密情報はほとんどすべてが、北朝鮮と中国の公安当局によって作られたものだった。(上巻92p)

日本における工作はマッカーサーが占領していた時期、チャールズ・ウィロビーが有末精三や河辺虎四郎らを使って行っていた。マッカーサーはCIAを冷遇していた。CIAはウィロビー配下のスパイ組織を監視し、驚愕する。

アメリカの占領軍に代わって日本の新しい諜報網が集めた情報は、おおむねうそかでっち上げだった。隠密行動の目的はほとんどの場合、諜報というよりは資金づくりにあった。(上巻172-173p)
日本人スパイは諜報網などというものではなく、右翼団体の復活を狙う政治活動であり、同時に金儲けのためのもの〔略〕だった。
CIA東京支局から見て最悪だったのは、有末とその部下が在日の共産中国の工作員に情報を売っていたことである。(上巻173p)

チリでの1971年の工作のお粗末さ↓

「チリでは、ポスターが印刷され、ニュース記事が流され、論説記事が奨励され、噂が広められ、ビラがまかれ、パンフレットが配られた」。その目的は有権者を脅すことにあった。〔略〕「それは骨の折れる仕事だったが、これといった効果はあまりなかったようだ」という。
CIAの仕事は呆れるほどプロらしくない、とコリー大使は思った。「世界中のどこの選挙運動でもあんなひどい宣伝は見たことがなかった。『テロ・キャンペーン』を生み出したCIAのばか者たちは、チリとチリ国民を理解していないので、即刻首にすべきだ、と私は言ってやった。それをCIAに対して言ったのだ。あれは一九四八年に私がイタリアで見たのと同じことだった。」大使は何年も後でそう語っている。(下巻92p)

CIAの巨大な資金は世界中の詐欺師と犯罪者を富ませるために使われたようだ。現在はCIAは衰退し、諜報産業複合体が生まれているらしい。

CIA秘録上

CIA秘録上

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画像はhttp://piapro.jp/content/xlrd1l1vzolnr87lから。