カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか

自然への畏怖と寂寥

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昨年末にhttp://d.hatena.ne.jp/gameover1001/というブログを発見して以来、愛読している。引用すべき着目すべきは他に色々あるんだが、心情的にメモしておきたいところがあるのでメモをする。

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080814/1219752518
夜、キャンプに出かけた森の中や、牧場のパドックにひとりで立っていると、人間がもともと感じていたある絶対的な「寂しさ」や「畏れ」というものが判るような気がする。
そもそも人間が文明というものの建設に向かった理由が利便性の追求などではまったくなくて、自分が「虚無」に取り巻かれている、あの感じ、自分の存在のあまりの小ささと無力に戦慄する、あの誰でもが自然のなかにひとりおかれたときに感じる、あの感覚に端を発しているのだと理屈ではなくて判ります。

この畏怖と寂寥と孤独感は、帰るべきどこか、暖かく迎えるべき何かがあることで色々バランスが取れる。畏怖と寂寥を覚える機会は人並みを超えて多く、暖かい何かとか人の繋がりとか社会との関わりを感じることが極めて少なく、骨身が芯まで疲労することばかりが多い環境では、感受性ばかり肥大して碌なことにならない。私の初期設定の日常環境はそこで、そこはスティーブン・キングの言う「悪い場所」に似ていて、そしてそこへ私は帰る。

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以下もメモ。

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20091229/1262116671
英語には「悔しい」という言葉も「反省」という言葉もない。その言葉が前提としている現実そのものが存在しないからです。

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20091021/1256055387
信じてもらわなくても構わないが、わっし〔ガメ〕は「日本人の感情を理解することが出来る」ようになってしまったのでした。わっしは「日本語という知覚システムを通して感受された世界」を見ることが出来るところへまでやってきた。そうしてその「日本人の感情」なるものの悲しさと絶望の深さは、わしがいまだかつて見たことがないものであったことをわしはゆわないではおれないのです。わっしは、これほど孤独な民族がこの世界に存在しているなどとは、これまで想像したこともなかった。日本人が住んでいる世界、というのは言葉で表現しがたいほど哀しく孤独な世界である。日本語なんか勉強しなければよかった。この言語は人間の言葉であるには、哀しすぎる。

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/comment?date=20091021§ion=1256055387#c
前にヤフーJapanのニュースコメント欄〔略〕で合衆国で育ったという人が「自分は“Make somebody happy.”といわれて育ったけど、日本では“他人に迷惑をかけるな”といわれて育つのですね」と書いていたのを思い出しました。

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