カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

マスプロ大学での思い出

風邪の熱のせいか、四半世紀も前のことを思い出した。大学生だった時に得た知識はゼロであることを、実感を伴って思い出した。私は大学で何も知的訓練を身につけなかった。そのことを悔しく思う。知的訓練を積んでいたら、その後たびたび感じる引き目、負い目を持たずに済んだだろうに。
自分が学問に向いているような錯覚を最近もまたしていたことへの無意識下での反駁か、それともじわりじわりと逆流するように過去のことを感覚まで含め思い返すようになったのは、こういうのは体が老いはじめた証拠だろうか。
私の父の世代にはまだ大学は一部エリートの行くところだったようだ。父は大学どころか夜間高校へ自費で通い、母は中卒だった。そして父母は学歴とは無縁な生活を営んだ。祖父は地方ではそれなりに有名人で、村の役人をしていたようだ。村の役人をしていたのに子供に学歴をつけようという動機が希薄だったのは、祖父の弟を祖父が金銭的に無理をして大学に行かせて、却って全く家のためにならず家が貧困にあえいだという負の遺産のせいなのかもしれない。その話は腐るほど聞かされた。我が家の神話だ。
大学に関する情報は私の周りにはほとんどなかった。地方で観光地な我が家には、大学とは、夏にレジャーしに来る何かか、夏にアルバイトしたおす何かだった。それは背景的なものだ。
私の教育環境は貧弱だった。特に小中時代は劣悪だった。高校時代はまだ少しましだった。それなりに名のある大学に合格した。受験前に大学と学部について自分で調べ得られた情報は僅かで、私には意味不明なことばかりだった。父母は大学について私以上に無知だった。教師に進路を相談したときの回答も当時の私には理解不能だった。
合格し入学した大学の専攻については全く調べていなかった。願書を書くときに、どの専攻にするか数秒のみ考え、そしてやや日寄った感情で選んだ専攻だった。
その大学は名は通っていたが、マスプロ大学だった。入学時に専攻は細分化されていて、専攻について考える時間がはじめからなかった。大量の生徒を処理するための大学側の事情によるものだったのだろう。他の学部はもう少しマシだったかもしれない。入学して初めのころのガイダンスに、転部についての案内があったことを覚えている。専攻の変更についての案内もひょっとしたらあったかもしれない。手続きを聞き憂鬱な気持ちになったことだけ覚えている。しかし入学して間もなく、この専攻に自分は全く合っていないことに気づいていた。あの時点で、色々なところに相談をするべきだった。それをせぬまま、何も学ばずに卒業だけした。そのことを後悔する。私は一年留年したので、5年間も大学に籍があった。人生で最も学問すべき5年もの間、全く無為に過ごした。私の頭の中は空っぽだ。5年もあったのに。
マスプロ大学に限らず、大学はドロップアウト、つまり落ち零れ消えていく生徒をあらかじめ勘定に入れている。ドロップアウトして学費だけ払い続け、形だけ卒業するという生徒はそれなりの割合で存在する。私はその一人だ。
私の学部は一年間あたりの単位制限、つまり「これ以上授業をとってはダメ」という制限が厳しかった。どこの大学もそういうものかと思っていたが、必ずしもそうではないらしい。マスプロ大学で生徒を処理する都合だったのだろうか。あの時期特有の制限だったんだろうか。大学で学べば何かが開けるかもしれないという期待は色褪せた。私の学部が私の大学の中でも二の線三の線であることは在学中に知った。さらに学部の中でも私の専攻は二の線三の線だった。専攻さえ別なところにしておけば、得るものがあっただろうにとは、常に思う。
下宿は親戚の大学生がちょうど卒業し、彼の使っていたやや贅沢なアパートをそのまま借り受けたので、仕送りに対し家賃が高価に過ぎ、大学からは遠く、不便だった。自炊のための訓練一切をしていなかったので、下宿での食事は貧弱だった。そのため生活は乱れがちだった。夏休みには実家で血尿が出るほど労働した。その秋から下宿で引き篭もり同然の生活になった。初年度の秋以降生活の昼夜が乱れ、治らなくなった。授業には一切行かなくなった。
寮にでも生活していたらまた少しは違ったかもしれない。…と、最近ふと思い、父母に尋ねてみた。我が家の金銭感覚的に、なぜ寮を選択しなかったのかがむしろ不思議だった。存在を知らなかったのかもしれない、と思った。
父母が言うには、寮をはじめは検討したそうだ。何しろ安い。そして村の中の大学卒業者に尋ねてみたのだそうだ。答えるに、寮は苛めが多く、それが原因で辞める学生が多い。それを聞き、父母は寮を選択肢から外した。私は小中学校時代、同級生からの酷い苛めに遭っていた。父母は小中学校時代に私を助けるための努力をした形跡はないが、気にはしていたようだ。その親心を四半世紀越しに聞き、切なくなった。そして大学に関連するほとんどの選択が裏目に出ていたことを残念に思う。
卒業後、私は学歴を使用する仕事を一切しなかった。だから大学で何も学ばなかったことを後悔すまいとずっと心に決めていた。塾講師が唯一で最後の学歴を使用した仕事だ。
だが研究をする手続きを大学で一切学ばなかったことは、やはり酷い損失だった。そのことを認める。マンガ規制反対運動をしている時も常にそれは感じる。エロマンガ描きとして煮詰まり、ついに描かなくなったのも、描くほどに自分の知的訓練の不足を痛感したからだった。塾講師をしていても、エロマンガを描いていた時も、自分は情報をコンパクトにまとめて伝えることにはそれなりにセンスがあるな、と、自惚れることが多い。しかし伝えるべき情報内容については、必要とされる手続きの訓練をしていないことを情けなく恨みに感じる。その訓練はどうすれば取得できただろうと思うほどに、冒頭に考えは回帰する。私の人生は残念だ。
以上は繰言であり、自己憐憫である。大学に通うことになる、あるいは現在通っている読者諸姉諸兄に、何かしらの参考になれば幸いと思う。
関連 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20070517#1179342977  http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20100124#1264284075

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画像は http://piapro.jp/content/8sry03z52rldsyh4 から。