カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

情報化社会において、人をいかに無知にさせるか

統治する人々は、統治される側が無知であることをふつう好む。情報化社会にはかなり以前からなっているが、情報化社会においても人を無知にしたままな社会をつくることは、可能である。
無知にしておく上で肝要なのは、あらゆる手段を用いて、多方面から、同じ方向に沿った「偏見」を強く被統治者へ植え付けることである。人は、初めに強い「偏見」「思い込み」を刷り込まれると、その「偏見」「思い込み」に沿った情報しか収集しようとしなくなる。「偏見」に沿ってしか物事を理解しようとしなくなる。「偏見」と対立する情報は、意図的に回避し遠ざけようとする。
被統治者へ与える「偏見」は、被統治者を救うものへの「嫌悪感」という点で揃えるべきである。この線で揃えておきさえすれば、たとえ相互の情報が矛盾していても、被統治者は自身を救う者への嫌悪感が先に立ち、情報相互の矛盾にはさほど心を砕かない。「少なくともこの嫌悪感は本物だ」という確信のもと、相互矛盾する情報を内的に処理することにエネルギーを費やし、決して自身の状況を改善するための活動に乗り出さなくなる。
被統治者を救うものとは、被統治者が自立することを手助けするものであり、統治者の構造への理解であり、被統治者がなぜ苦しく辛い境遇におかれているのかについての理解であり、より辛い境遇にいつ落とされるか判らないことの抜本的原因分析であり、弱者救済の政策であり、弱者救済のための機関である。これらへ対し、強い「偏見」を、あらゆる機会を通じ、植えつけるべきである。
日本はそのようにして長く統治されてきた。そしてあらゆる機会を通じて無知を賞賛してきた。その結果、「デマ」にたいへん弱い国家となっている。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20100408#1270653127
記者クラブ制度とか(その弊害の一つである警察による報道の統制とか)、クロスオーナーシップとか、長く続いた自民党による従米政策とか、日本政治における暴力団の暗躍とか、それらは日本人を無知なままに置くために十全な働きをした。 
 関連 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050913#1126558167
強い偏見をいつまでも維持するのは、情報においてより周縁にいる人々である。情報においてより周縁にいるため、強くストレスを感じ、そのストレスが偏見を強化するためのエネルギーへと転換する。無知を維持するための装置として、宗教団体は一定の役割を果たしている。宗教団体は「信じろ、疑うな」を精神的紐帯としている。よって無知を増大させる温床となりやすい。

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画像は http://piapro.jp/content/tn27weu820ur45n1 から。