ニートに似た何かとか
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29日、インターネットが繋がらなくなる。WEBから切り離されると、老父母以外との会話がほぼゼロな、社会とは無縁な引きこもり同然になる。社会からの評価、他者からの評価、がほぼ皆無になる。自営業はニートによく似ている。WEBのお陰で社会との繋がり、複数の人間との繋がりが確認できる。
…とはいえ10年前にやはり自営業していた時期、WEBには繋がるが、前提とする社会経験蓄積の絶対量が足りず、心の糸が切れたようになり、WEBの知り合いからも引きこもり退却し、ひたすらアスキーアート(文字絵)系の板にだけ没頭していた時期があったな。
ささやかな社会経験で判ったことは、他人からは自分はわりと面白いとか信用できるとか有能だとか評価されるということだ。多少の自分の思い上がりがあるとしても。田舎では比較対象が全然なくて、オタクな話題が通じる相手もいなくて、似た感性とか似た境遇の人間もいなくて、読書量とか頭の程度の近い人にも恵まれず、そのため自分というものを評価することができず、どの程度自分が思い上がっているのか計れず、そのため逆に無駄に自分の人生を自傷的に潰していたな。
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自営業はその商売の種類にもよるが、日常的に接する他人というのが乏しくてもやっていけるケースが多い。社会常識の中で揉まれる機会が少ない。そのため非常識な人の非常識が温存される。「在特会」とか「刀剣友の会」のような非常識な集団は、自営業者がわりと多いと聞く。
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数日前、親戚の経営するコンビニで買い物をしていると、小中学校での同級生に会った。我が家は軽く人里離れている。彼の家とは隣と言えなくもない。向こうが声をかけなければ気づかなかった。15年ぶりくらいになるのかな。もっとかな。老いていた。私も彼と同じ程度に老いているのかな。彼とは小中学校で同級であったこと以外何一つ心に共通項がなく、向こうが私の名を呼び、私が応え、それだけで別れた。正直言って今後一生会わないで済むのなら会わないままの方が楽だ。小中学校時代の懐かしい良い思い出なぞ一つもない。田舎では私は「外れ」の年回りだった。
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29日夜、老母の嵌っているわりと無害な新興宗教の集会を老母が取り仕切る。そこの指導員みたいな人を家まで車で送る。車中、つまらない世間話から、我が家の問題は老母にあるのだ、老母が我儘過ぎて幼稚過ぎて、あれが困るのだ、なんとかしてくれ、というお願いをその人にする。
この夜、追加の肉体労働。