カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

職種の変化による、身体の変化と、精神の一部の変化

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現在の仕事は休日祝日が掻き入れ時であり、GWは仕事がMAXとなる。客商売というのは人への対処を浅くする方法を習得するものであり、人を軽薄にさせる。繊細な人にはあまり向かない。20年前に比べるとGWの仕事の量はだいたい5分の1から10分の1程度に収まっているが、それでも標準的な仕事量くらいはやっている。肉体労働が多く、頭を一切使わず、朝が早いので、本などほとんど読めない。宮崎市定の『大唐帝国』を再読しきるのにやたら時間がかかる。
塾講師はどちらかというと頭脳労働に近い仕事だったのだろうが、その頃とは、身体感覚が変化する。10年前はこの肉体労働系の仕事をすると2週程度経てば、手の皮が変化し、手が繊細な動きをできなくなり、仕事のために身体も精神の一部も変化することを感じ、しかもその変化が望ましくない変化であるから、たいへん切ないというか耐えがたいものがあった。
現在の仕事は今となっては、自分専用の年金の代償のようなものであるから、若い頃のようにはそれを悲しいとは感じない。鏡を見ると、自分の顔に老人性の斑点が浮いていた。いわゆるシミというやつだ。こっちへ来てすぐに、父の顔にこの斑点が増えたことに気づき、沁みるものがあった。人間は私くらいの年齢になるとシミが浮くのだな。私は男性だからよいが、女性にとってはショックだろうな。
20年前よりは単純作業系肉体労働の絶対量が減ったが、それでも単純作業系肉体労働の割合は少なくない。肉体労働で単純作業というのは別に楽しくはない。楽しみがない肉体労働をしているときは、脳味噌は勝手に別な動きをして、かつて読んだエロ小説を脳内で反芻したりしはじめる。子供の頃楽しくない単純作業系肉体労働をさせられていたとき、読んだギャグマンガを脳内で反芻していたことが多かった。
農作業や漁業の作業の時歌う民謡はエロ歌が多かったそうだが、身体を過酷に使う労働のさい、エロというエネルギーが人間には必要で、だから民謡はエロ歌ばかりなのだ、と、昔、永六輔が言っていたのを思い出す。テレビでは放送できないエロ歌が歌詞を変えられたのがテレビで放映される民謡なのだと。
しかしながら私がエネルギーを補給するためのエロというのはやはりペド系なそれなのかと、我ながら侘しさを覚える。
精神の一部の変化とは、ある種の繊細さが摩耗し消えるということだ。自分がそうでありたいと思っている地点より、主に疲労により、後退する。学術的なものへの知的体力が確実に消耗後退する。「東京」という言葉に象徴される、あるいは「オタク」という言葉に象徴される社会との越え難い距離感は、この肉体変化とそれに伴う精神変化によって我が身に感じられる。肉体は否応なく精神を支配する。

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頭脳労働系の妹が久しぶりに来たので、僅かに話をする。私の人生とは対照的な彼女の現在の仕事の内容を聞く。聞いたところで私には中身があまり想像できない。私にもそのような人生がありえたのだな、と、折に触れ思う。

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昨夜客室にてトラブルが発生。原因を水道屋さんから伺い、検討するに、施工段階になって設計段階とは違うものを老母が要求したのが根本原因だと判明する。

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[5/4 22:15]宮崎市定関連 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20061208#1165525278 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060313#1142188481

大唐帝国―中国の中世 (中公文庫)

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