カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

城内実の父親、城内康光関係メモ

城内実父親城内康光関係メモ。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20081125#1227540979の続き。

http://yaplog.jp/ichijihinan/archive/707
また、城内〔康光〕元長官はオウム真理教事件を追うジャーナリストの間では有名な存在であった。〔略〕
ある幹部警察官が、1983年に関東近県の本部長に単身赴任した際、婚約者のいる婦警をレイプするという事件を起こし、そのもみ消しを側近に命じる。側近たちは被害者の女性の説得に成功。女性はこの幹部警察官の愛人となり、彼女が口を噤んでくれたために彼は順調に出世し、団体(警察)のトップにまで上り詰めた。退官後は海外で別の仕事をしている……。
ここに出てくる幹部警察官の経歴が城内のそれとぴたりと当てはまるのだ。1983年当時、城内は群馬県警本部長だった。だがこの頃、城内がレイプ事件を起こしたなどという話はないはずだ。筆者がみおとしているのだろうか……。
では、この一橋の紹介していた伝説は根も葉もないデタラメだったのだろうか。実はこれとは別のものだがよく似た話がある。それは、城内元長官が将来の総監、長官候補として期待していた若手官僚が女性問題を起こし、そのもみ消しを城内が側近に指示。ところが、このスキャンダルをオウム真理教と関係が深いと噂されていた暴力団に気づかれてしまい、その連中との裏取引によってオウムに拉致殺害された坂本弁護士一家殺害事件の捜査が中断したのではないか、との疑惑があるのだ。
この女性問題を起こしたキャリア官僚の名は渡邊秀男――昭和49年入庁組のホープで、城内元長官のお気に入りだった男だ。渡邊は1992年4月20日付けで病気の療養を理由に依頼退職。最終職は警察庁の地域課長(厳密には警務局付)で、階級は警視長だった。
ところが、警察関係のOB名簿には渡邊の名前は記載されていない。財団法人警察教会発行の職員録に主要旧幹部の名簿があり、警視正以上の存命中のOBの名が載っているのだが、渡邊秀男の名はないのだ。他の幹部では、たとえば昭和27年に共産党に偽装入党し、自ら共産党の仕業に見せかけて駐在所を爆破、その後マスコミの目を避けて全国を逃亡した戸高公徳。警察の裏金疑惑を告発する『わが罪は、つねにわが前にあり』を著し、警察組織から村八分になった(検察庁三井環大阪高検公安部長と同じだ)松橋忠光(1998年に死去)。彼らですら名前があるのに、である。その他では同じワタナベでも神奈川県警本部長の時に現職警官の覚醒剤事件をもみ消して起訴された渡邊泉朗の名前はあっても、渡邊秀男の名は抹消されている(次頁資料参照)。
いったい渡邊秀男は何をやったのか?覚醒剤事件もみ消しや駐在所の爆破、裏金疑惑の告発(これは警察組織以外では評価されるものだ)以上の悪事を働いたというのだろうか。
〔略〕
ところで、渡邊のスキャンダルが発覚した際、警察庁次長として長官のポストを目前にしていた城内が、自分が贔屓(ひいき)した彼の醜聞が表沙汰にならないように側近たちに工作させた疑いがあるのだ。そして、その工作の情報がオウム真理教と関わりの深い暴力団に流れたという噂もある。ちなみに裁判は渡邊側の主張が全面的に採用されて勝訴している。裁判記録の中でも、城内ファミリーの一員である杉田和博内閣危機管理監や、寺尾正大元警視庁捜査一課長らが、動いていた形跡が見てとれるのだ。
一方、坂本弁護士一家失踪事件は、暴カ団ルートから解明できそうになった時期があったという。ところが、城内長官の指示によって当時の神奈川県警本部長が前任地で起こしたセクハラを理由に解任され、新たに本部長に就任した杉田が捜査を中断させたのだという。
詳しい話は次の機会に譲るが、松本サリン事件が起きたときに神奈川県警のオウム班は、捜査が中断する少し前に麻原彰晃が高知支部の説法会でサリンに言及していたのを警察庁に報告している。城内が警察庁記者クラブに突然フラリと現われて、長官を辞任する意思を表明したのは、その直後のことだった。

まあ城内実先生は表現規制反対派表明してくださっていらっしゃるんですけどね、たしか。

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画像は http://piapro.jp/content/tkao69avfmm4z1mb から。