カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

老父母が体調を崩す、「すみません」

1

一昨日、老父が体調を崩す。消化器系。老父はストレスが消化器系に来る。
同日、老母も体調を崩す。循環器系。近隣の病院の数は減っていないんだが医者の数が減って診療時間が減っているので、なかなか診察先が見つからず、えらい難儀して病院へ行って、しかし診察できず、翌日も主治医が休日で、えらい難儀して病院へ行くが、求める療法を得られず。
体調を両者が崩したのは、暑かったのと、疲労が蓄積していたのと。
老母は今日も体調悪く、一日休養。老母が休養してくれているほうが、正直言って、色々楽。老母は体調不良とか疲労とかそういう概念を20年位前まで知らなかった人間で、だから辛さとか痛みとかへの共感能力が乏しい。
両者とも体調を崩しているが、たいして重篤ではない。
本日、久しぶりに雷雨がある。気温が下がり、過ごしやすくなる。今まで日照りが強すぎた。朝は涼しいを超えて寒さを早くも感じるが、日中の日差しはこんな高冷地でもまだ痛いほどだ。今年はウチの畑でもスイカが採れた。

2

ウチの家業にとって夏は「思考(思惟)しない」ことに馴致させられる期間だ。「思考しない」ことに慣れたからといって、何かいいことがあるわけではない。「思考する」ことが自然な人間にとり、「思考しない」ことは不自然だ。「思考する」のと労働の両立ができない以上、前者を放棄せざるを得ないわけで、悔しさやら憤りやらのかたちで沈殿化する。「思考しない」とは精神を硬直化させるということだ。この後、だいたい半年くらいかけて精神がある程度自然回復し「思考する」ことを思い出し、悔しさを言葉にし、そしてまた「思考しない」ことに2ヶ月から4ヶ月くらいかけて馴致し硬直し、この不毛な周回を今後30年間くらい繰り返す。自分の子供にこんな生活はさせたいとは思わない。我が老父母はさせたくて堪らなかったようだが。その点については生涯相互に分かり合える日は来ない。
非コミュ指数テストhttp://www5.big.or.jp/~seraph/zero/discomm.cgiでは私の非コミュ指数は 29(レベル1/軽度非コミュ/人間不信型) オタク度はゼロ、人間不信度は100。接客業には向かない。だからなるべく接客しないで済むように仕事を組み上げ直してきたし、今も組み上げ直している。

3

ウチの家業では「すみません」という言葉を、自分で意識して数えると呆れるほど私は使う。
マンガのアシスタントをしていたころ、あまりに「すみません」という言葉を私が使いすぎるので先生に叱られたことがあった。叱られた当時はたいへんに不愉快に感じたが、先生の言い分はまあ正しくて、「すみません」を多用するというのは、「私は貴方の言い分を必ずしも否定するものではないが、これ以上貴方の相手をしたいとは全く思っていない。正直に言うと貴方の言い分には全く同意しないのだが、私は貴方の意見を否定できる立場に残念ながらないので、同調したふりをしてやる、だからもうその話は終了して、ここを去れ」という含意が「すみません」にはある。20歳代の頃はあまりに自分が多用しすぎるので、そのことへの自覚が薄かった。
老母はほとんど使わない。だから老母はムダに客とトラブルを起こす。なので老母は休養してくれているほうが仕事上、私には楽だ。
仮に自分の子供が生まれたら、この仕事をさせたいとは思わない。接客業は卑屈な振る舞いを血肉化させる。

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