カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「青少年都条例」と「児童ポルノ法」の戦略の違い

http://nenkansyokudou.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/127-5ba4.htmlhttp://d.hatena.ne.jp/kamayan/20080311#1205184684を言及いただいている。
ところで、「児童ポルノ法」と「青少年条例」は、重なっているところ・似ているところはあるんだが、「条文」や論理や状況は、だいぶ違う。
児童ポルノ法」は原則的には表現規制に関し水際で一応食い止めている。敵方と味方と論理において比較すると、味方に理があり、そのため政治力学的に拮抗している。
「青少年条例」はすでに表現規制をかなり受け入れてしまっている条例であり、かなり退却したところでの戦いであり、条例自体の思想は「子供に有害だと思われるものをどうにかする」という、私にはちょっと理解できないロジックですでにけっこう長い期間運用が実際にされている。私は「児童ポルノ法」についてはその初めから関っているのである程度見通しが立つのだが、「青少年条例」の方は私が「表現規制反対運動」に関り始めた時点ですでに作られていて運用が開始されていて、その条例が言う理屈がどうにも理解共感できないのでモヤモヤとした感覚がいつもある。
ガチ戦という言い方を以前したが、青少年条例はガチ戦を今からするには現条例自体が我々を退却させた上で存在しているので、その意味苦戦である。「青少年条例」への対抗理論が、「児童ポルノ法」と比較して練られ切っていない、あるいは練られた論が我々の間で浸透していないのは、論理戦・言論戦において、我々が敵方に大いに歩を譲っていると状況評価すべきと思われる。退却から反転攻勢へ、というのは今回はまだ無理だと私は思う。
今回の勝利目標は、1;心情的味方を可能な限り議会や政界、あるいはメディアに作っておく。それは今後の遺産となる。 2;マンガ規制は警察官僚にとって得点にならないという前例を作っておく。  この2点に絞っていいのではないかと思われる。
ところで、後で別エントリに書くけど〔書いた〕、最前線を誹謗している人にコンテンツ文化研究会イベントで生で遭遇しましたが、60歳くらいな新左翼崩れの(たとえば革マルとかそーゆーのの)政治ゴロだと判断できるおっさんでした。そういう政治ゴロが表現規制反対運動の盛り上がりに便乗して何か霍乱を意図しているようでありますので、特に我々が味方とすべき存在に対する誹謗はよくよく眉につばつけて、冷めた目で観察し、華麗にスルーするのが賢明だと思われます。
同志諸姉諸兄による表現規制反対運動は、日本の歴史にあまり前例のない活動であります。そのことに誇りを持ち、賢明に振舞っていただきたいと思うものであります。

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