カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

「21条の会」案

「反対運動の組織化を」という、議員側からオタク側への要望が以前あった。それについての提案をhttp://d.hatena.ne.jp/kamayan/20101220#1292839180で書いた。
こういうコメントをもらった。

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/kamayan/20101220%231292839180
ayanami )。肯定的に思うが小規模の団体の集まり(クラスタ)先行論はあまり承伏出来なかった。 2010/12/20
tatsunop 結構簡単なとこからもできるんだと思ったら追記だと割りと別の方向が。こっちの解説もあればよさそうなんだけどなぁ。 2010/12/24

この2つに返信する。

1 「選挙区」ごとに、「団体」が存在するのが望ましい

「団体」は、「議員」もしくは「候補」へ影響力を与えることを目的とする。議員にも候補にも影響力を与えない「団体」がいくら存在してもあまり意味がない。
「議員」「候補」は、基本的には、「選挙区」に縛られる。「選挙区」内の声を議会に届けるのが議員の仕事であり、「選挙区」内の支持を失えば、選挙で議員は失職する。議員は選挙に勝つために「選挙区」内に選挙運動協力者を必要とする。
よって、「団体」は、選挙区を単位として存在するのが望ましい。選挙区内の「議員」「候補」に対する継続的日常活動と、選挙時の支援応援活動が、「団体」の主な業務となる。選挙区内に、市議・区議レベル、都議レベル、国政レベルで、それぞれ、「味方」「仲間」と言える議員を育てるのが望ましい。「日常活動」とは議員に直接会うこと、意見を伝え、先方の意見と情報を受け止めること。議員が求めることを何か一つ行なうこと。日常的に人間として付き合うこと。議員の市政・区政・都政・国政報告会に参加すること。これらを繰り返すことで「団体」の「存在感」は選挙区内で次第に増していく。
市議」「区議」レベルだと、存外少ない票数で当選するものである。相対的に「団体」の票としての価値は高くなる。選挙運動要員としての価値もだ。その「市議」「区議」の選挙応援を「団体」で熱心に行なえば、その「市議」「区議」は、かなり強力な協力者となる。政治家の協力者を得ることで、「団体」の活動領域は飛躍的に広がる。「区議」「市議」から「都議」「県議」に転進する例は多い。
よって、「団体」は選挙区ごとに存在することが望ましい。もしも全ての選挙区から、市政・都政・国政全てから「味方」の議員が当選すれば、それで表現規制問題は、消える。
ところで、ご自身の選挙区を、ちゃんと把握されていらっしゃいますか?

2 小団体は必要か? 先行させる必要があるのか?

「団体」が今まで全然生まれなかった理由は、「誰が団体をまず立ち上げるか」が大きい心理的ハードルになっていたからだと思われる。
そのため、たとえば過去の表現規制反対運動の歴史を見ると、「マンガ防衛同盟」や「NGO-AMI」のように、原則的に、同じ時期に一つしか団体が存在しなかった。「一つあるからそこに任せれば大丈夫だろう」という、激烈にヤバイ意識がなぜか団体参加者以外にはなんとなく共有されていた。とくにこれは「マンガ防衛同盟」の時に強くて、「俺を含めて2〜3人しか実質的にはいない『団体』に『任せる』ってどういうつもりでお前ら言っているんだ?」という危機意識が、当時私には強かった。一緒に当時活動していた西形公一は政治家になるのが目標だったので、その「周囲からの幻想」を利用したいと願っていたようだった。だが、その「周囲からの幻想」はマンガ界全体にとってやばすぎる、と、私は思っていた。
NGO-AMIのころは、ネット上には他に複数の「団体みたいな」ところが存在していた。「ジポネット」とか「JSS」とか「ROSF」http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20101006とか。残念ながらAMI(と一応ROSF)以外は「団体」というよりは「共有掲示板」みたいなもので、またAMIもROSFも「味方の政治家を作り育てる」ことを団体の目的とはしていなかった。AMIの場合は以前に書いたhttp://d.hatena.ne.jp/kamayan/20101005#1286284559 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20101006#1286370830ので省略する。ROSFは自民党系のどっかの政治周りと繋がっていたんだろうなあ、と想像するんだが、AMI関係者を誹謗する以外に何をしていたのか私は知らない。以上は余談。話を戻す。
「団体」という言葉は幻想を喚起させがちであるが、始まりは3人から7人程度の「サークル」で充分なのである。そのことは以前にhttp://d.hatena.ne.jp/kamayan/20101220#1292839180で述べた。活動内容は初めは「読書会」で充分だ。たとえば長岡義幸さんの『マンガはなぜ規制されるのか』の読書会から始めれば、次に何をするべきかも見えてくるはずだ。深く揺らがずに問題を理解している人が3人集まれば、それはかなり力のある「団体(サークル)」となる。ここまでは各自の努力で作れるはずだ。こういう「サークル」が今後どれだけ生まれるかが勝負だ。
その上で、「同じ選挙区」に他に「表現規制反対団体」があったら、協力関係を結ぶのが望ましい。同じ選挙区に複数の「団体」があるというのは物凄くラッキーなことで、おそらくそういう例はそんなには今後もありそうにないと思うが、ボコボコたくさんある状態になったらいいね。「一人団体」は同じ選挙区に他に「一人団体」を見つけたら、合同団体に再編するほうがいいよ。
オタクは習性として、「組織として」動くのが苦手だ。「組織」「団体」という言葉に幻想を持ちがちだから、「団体」が自分の他にあるとそこに「要求」するだけで何事かをなした錯覚に陥りがちだ。そういう「錯覚」をどう克服するかは大きな課題の一つであり、この「錯覚」は「自分で実際にやってみる」ことでしか基本的には解消ができない。
どんな「団体」も、小さな集団から始まる。その小さな集団から始まる以外にない。いや、「始まる」のではなく「始める」人がどれくらい登場するか、繰り返すが、それが勝負である。
もしも物凄くラッキーで、同じ選挙区に他の「団体」が存在していたら、情報の交換をしあい、共同でミニ集会を開くなりしていくといい。その上で合同するかそれぞれ別個の「団体」として活動するか決めるといい。

3 団体名案

団体名は「外出着用の団体(サークル)名」だと以前書いた。とはいえ、「表現規制反対」している、けっこう全国的な組織、という印象を政治家に与える方が有利ではある。
そこで、過去の歴史に似た例はないか、お手本になるものはないかというと、「ベトナムに平和を!市民連合」(略称「べ平連」)がある程度お手本になるかと思う。たしか、ここは、誰であろうと「支部」を作っていい、という約束になっていた。それと同様に、全国で同じ名前で、各自に「支部」を名乗り活動する、というのは、悪くない方法だと思われる。
この方式は「市民運動」では幾たびも踏襲され、有名な例では「9条の会」がその方式を行なっているらしい。wikipedia:九条の会
私たちの場合は、日本国憲法21条を大きい共通の理念としていると言ってよいと思う。なので「21条の会」を名乗ってみるのはどうか? いやその名前よりは自分で考えたこの名前の方がセンスがいいし、愛着がある、とお考えの方は、ご自身で考えた「団体名」をもちろん使うべきである。なんと名乗ってよいものやら、でも団体名欲しいな、と悩んでいる人々がいたら、一つの案として「21条の会」を提案する。
wikipedia:日本国憲法第21条

4 使用上の注意

読者諸姉諸兄をムダに悩ませる意図はないのだが、以下蛇足する。
表現の自由」対「子どもの人権」という偽の図式は、敵を有利に、我々を不利にする。

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20090622#1245601203
「人権」対「表現の自由」という図式は偽の図式だ。「人権」という語には「被害者救済」が含まれている語感があるが、少なくとも国政での場において、「人権」の名の元に規制を求める勢力は、実際には被害者救済に関心がない*1。この事実を忘れると我々は偽の図式に迷い込む。被害者と我々は連帯はできずとも緩やかに支援しあうことはできる。
「(警察による)統制権限拡大」対「人権(被害者救済)」「表現の自由」が実際の図式だ。

これを重視した場合、ひょっとしたら「21条の会」という名称は、「偽の図式」へ持っていきたいという「敵」の意思に対して、我々に不利かもしれない。図式を間違えない限りにおいては、「21条の会」という名前は悪くないのではないかと思う。

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画像は http://twitpic.com/3lhsoq から。
本日のボカロ曲 懐古P作品

べ平連については以下参照されたし。

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

*1:都政においても被害者救済には全く関心がないことが今回伺えた。