カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

『トルコのもう一つの顔』読了

『トルコのもう一つの顔』読了。

1

この書評↓を読み、この本を読もうと思った。

https://pedro-proxy.appspot.com/d.hatena.ne.jp/elmikamino/20101019/p2
闘う言語学者、小島剛一
20年前の1991年に公刊された本書については、「クルド人問題」を扱った本のなかで必ず参考文献に挙げられていたので、暗示的な書名は覚えていたが、出版時期からみて、あまり深い内容は期待できない一種のトルコ紀行に違いないと勝手に想像して読むのを後回しにしていた。だが本書は一見読み易い旅の物語の装いを引き裂くような、私の想像とはまったくかけ離れた衝撃的な内容の本だった。いわゆる「クルド人問題」は本書ではほんの入口に過ぎない。小島剛一さんは、70年代からすでにより深刻でデリケートな少数民族の問題、すなわち、自分たちの真の姿をひた隠しにして生きている「隠れ民族」、さらにはひた隠しにするあまり自分たちが本当はなんであったかわからなくなってしまった「忘れ民族」が抱える諸問題に言語学者として17年間にわたって「厳正な事実」をコツコツと積み上げながら取り組んで来たのだった。本書には随所に言語学的成果が散りばめられているが、読む者に勇気を与えるのは、「科学的(学問的)」立場を楯に単独でトルコ政府と渡り合いながら時には命懸けで調査研究に取り組んで来た小島剛一さんの姿勢、生き様である。1991年といえば、まだ「クルド」と書いただけで出版社もマスコミも尻込みした時期である。よくも中央公論社はこの本の出版に踏み切ったものだとその英断に感心もした。
〔略〕トルコ政府にとっては「知りすぎた男」である小島さんは1986年9月に「国外退去勧告」を受けたことは『トルコのもう一つの顔』にも書かれていた。その後1988年8月の雨季のさなかに小島さんはネパールにいた。アンナプルナ連峰を一周する長期コースを単独で踏破するためだった。登山ではなく、トレッキングである。驚いたことに、海抜四、五千メートルの山々を踏破するトレッキングにも関わらず、小島さんはいたって軽装備である。登山靴などは履いたことがないという。素足にゴム草履である。〔略〕
〔略〕そんなトレッキングの途上、ある宿で一緒になったフランス人の医師たちとの会話がきっかけとなって、小島さんは『トルコのもう一つの顔』の草稿をネパールの民家の離れを借りて十日で書き上げることになる。

 宿に帰り、ランプを灯してタロット・ゲームを始めながら会話が続く。
「しゃべり方、教授っぽいね。大学の先生でしょう。ご専門は?」
言語学
ネパール語?」
「いや、トルコの少数民族の諸言語」
「論文はどういうところに発表するんですか」
「まだ発表できていないんです。トルコでは政治がらみで存在しないことになっている諸言語だから、下手に発表すると、私だけならともかく、地元のインフォーマント(=言語調査に応じてくれる人)たちにも命取り、二年前には国外追放されちゃったんです」かくかくしかじか。
「そういう事情だとしたら、学術的な論文をしばらく寝かせている間に、一般読者向けの本を書いたらどう? 本を出版してしまえば、そこに政治的な圧力をかけたら逆に宣伝になってしまうからトルコ政府は却って手が出しにくくなるよ。論文が発表しやすくなるんじゃないの」
「あ、それは考え付かなかった」
「そうよ、書くべきよ。フランス語でも、日本語でも、英語でも。いいものが書ければ引き受ける出版社はきっと見つかるわ」
 ゲームを続け、会話を続ける間に、20年も目にしていない原稿用紙の記憶が目の奥に広がった。このときまで何年も何年も胸に秘めてトルコ語とフランス語とだけでごく僅かの人にごく一部だけ話していたことを、日本語で、母言語で、存分に書き表したいという想いに火がつき、燃え始めた。ペンを持つ自分の姿が目に見える。書けるだろうか。日本語が今でも書けるだろうか。書き出しはこう。次の章ではあのことを説明して、起……承……転……再転……三転……結。最後はあの場面で締めくくる。そうだ、書ける。書こう。書くぞ。
 決めたことをすぐ実行した。原稿用紙は日本でしか売っていないものだからここでは手に入らないが、後で清書すればいい。分厚いノートを一冊買ってとにかく下書きをしよう。数日後、民家の離れを借りて朝から晩までノートを埋める作業に取り掛かった。食事の時だけ外に出る。何も考える必要は無かった。構想を立てることさえせずに書き始めたのだが、一行書き終わらないうちに次の行に書くべきことが浮んで来る。ペンの動く速さでどんどん書き進み、わずか十日後に草稿は出来上がった。(『漂流するトルコ』98頁〜99頁)

だが、その草稿が知人を介して最初に持ち込まれた日本のある出版社では、トルコ政府の政策を批判するような本は出せないことを理由に不採用になった。また、結局採用された中央公論社の担当編集者からは、出版後に登場人物すなわちトルコ国内のインフォーマントたちや小島剛一さん自身に危険が及ぶ可能性はないかを打診する質問状が送られてきた。それに対して小島剛一さんは、「最悪の場合は暗殺されることを覚悟した上での研究」であると答えたという。当初からインフォーマントたち(少数民族)との深い信頼関係の上に成り立つ小島さんの研究は、差別の現実を変えるための国家権力との一歩も譲れない不断の闘いであったわけである。

この書評↑に付け加えることは何もない。以下は蛇足。

2

オスマントルコ帝国には「公用語」がなかった。オスマントルコ帝国時代のトルコ語は支配民族の言語であるにもかかわらず、支配階級に「無学文盲の輩」の言語として蔑まれた。帝国末期の民族運動によりトルコ民族という意識が生まれた。トルコ共和国は「トルコ国民はすべてトルコ人であり、トルコ人の言語はトルコ語以外にない、トルコ語以外の言語はトルコ国内に存在しない」という公式見解を取っている。そのため、トルコ国内の少数語族の存在はトルコ政府により抑圧されている。

アルザス(フランス東部)に住むようになって何ヶ月かたったころ、ある友人が、悩みぬいたあげく「異宗教結婚」をすることにしたと言う。友人と婚約者とそれぞれの宗教を訊いてみたところ、片方はカトリック、片方はプロテスタントだということであった。どちらも同じキリスト教だとばかり思っていた私は、自分が宗教のことをなにも知らずにいたことに遅れ馳せながら気がついた。ずっとあとになって、離婚をためらう理由の一つに「教会に破門されてしまうから」というのがあることも知った。(まえがき)

名文家だ。1日弱で読了した。
政治的効果を狙うなら、英語版を出版するほうが有効だろうな、と思うんだが、どんなものなんだろう。

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画像は http://piapro.jp/t/jN0W から。
本日のMMD動画

トルコのもう一つの顔 (中公新書)

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漂流するトルコ―続「トルコのもう一つの顔」

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