カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「才能」とは「どのくらい余計に疲労するか」なのかもな、とか思った

現在の田舎の仕事は、たぶん、私以外の人間が同じ労働をするよりも、私は疲労を覚える。この場所にはトラウマが渦を巻いていたり、私は金銭への執着が薄かったり、老母に対する怨念を忘れようとすることにエネルギーが消費されたり、現在の仕事に愛着が薄く、私はこの仕事には、私以外の普通の人が感じるだろう疲労感より多くの疲労感を覚える。こういうのを才能がないとか適性がないとか言うんだろうな、とか思う。人並程度にはこなすけどさ。
比較すると、塾講師の仕事も、あれはあれで死を予感するくらいに過重労働したけど、充実感というか、生徒への執着というか、なんかそんなものがあって、たぶん他の人が同じ労働をするよりは疲労感が薄かっただろう、と思う。
マンガ家の仕事はどうだったかな。私は自分の内面に長年蓄積されたトラウマというか怨念を解消することをマンガという仕事を利用して行なっていたから、疲労は物凄くした。私はマンガを描くことへの才能は乏しかった。怨念をマンガでアートセラピーすることが自分には必要で、で、自分に共感してくれる誰かが私には必要だった。田舎のここには私に共感する誰もいなかったから。内田樹の言う「呪いのコミュニケーション」http://piccola.air-nifty.com/diary/2010/01/post-1413.html http://happy.ap.teacup.com/nomaclinic/203.html に囲まれた生活によって苦しみ歪んだ内面を伸ばし直すためにもう一度捻じり直す必要があった。のだろうと思う。その方向性に共感を覚えてくださった読者さんにとって私はトラウマ作家の一人になったのだろうな、とか思う。そういう読者がいていくれたことを、私は感謝する。そういう読者の存在を知ることで、どれだけ救われたか。
今も「呪いのコミュニケーション」に接する時間が長すぎて、不愉快なことが多い。「呪いのコミュニケーション」は善意でもってなされる。逃げる以外方法がないように思う。私はずっとそれから逃亡していた。逃亡しきれなかった。
関連 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20090428/1240857782

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