カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

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鎮魂と再生のために――復興構想会議2011,4,30 赤坂 憲雄

震災から一か月後に、わたし〔赤坂 憲雄〕は東日本大震災復興構想会議のメンバーに任命された。まったく青天の霹靂だった。だれが、いかなる理由で、わたしを選んだのか、それすらいまだに知らない。わたしはこの会議のなかで、一度だけ、三十分の時間を独占して提案を行なう機会をあたえられた。四月三十日、その時に提出した発表レジュメ「鎮魂と再生のために――2011,4,30復興構想会議発表メモ」は、内閣官房ホームページ上で発表されている。それはわたしが会議の場に提出した唯一の公式文書でもある。わたしはそこに、構想会議の委員として語るべきことをすべて語っている。具体的な提案はふたつ、「福島県自然エネルギー特区にすること」および「災害アーカイヴセンターを創ること」であった。
〔略〕その後、ブログやツイッターを仲立ちとして広まり、思いがけず多くの人たちがこのレジュメを読んでくれたようだ。埋もれなくてよかったと、つくづく思う。
『「東北」再生』4-5p

「東北」再生―その土地をはじまりの場所へ

「東北」再生―その土地をはじまりの場所へ

http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/kousou3/akasaka.pdf (内閣官房HP)

鎮魂と再生のために――復興構想会議2011,4,30 発表メモ  赤坂 憲雄

はじめに

精神史のなかの東北について語りたい。
フィールドから浮かびあがる東北はひとつではない、中心がない、多様である。
しかし、この大震災によって、白河以北/以南のあいだに太い線引きがなされ、東北はあらためて辺境=みちのく(道の奥)として再発見されたのかもしれない。
千数百年前の、ヤマト王権による「蝦夷征討」以来、東北は辺境=みちのくとしての負の歴史を背負わされてきた。
近代のはじまりの戊辰戦争においても、奥羽越列藩同盟を結んで戦い、敗北した。
東北はそうして、敗者の精神史に縛られ、喘いできた。
敗戦にいたるまで、東北における国家的な開発プロジェクトはたったひとつ、明治十年代の野蒜築港であり、それは台風の高潮によって挫折を強いられた。
しばしば自嘲のごとくに、戦前の東北は、東京への貢ぎ物として「男は兵隊、女は女郎、百姓は米」を差し出してきた、と語られる。
そんな東北はもはや過去のものだ、東北は十分に豊かになった、と感じ始めていた。
錯覚であった、大震災がそれをむき出しにした。
戦後の東北は、電気と部品と食料を東京への貢ぎ物としていたのである。
東北の豊かさは、なんと危うい構造のうえに築かれているのか。
東京に電気を送るための原発を受け入れるのと引き換えに、福島県の相双地方には、わずかな物質的豊かさが与えられた。
そこはかつて、「浜通りチベット」と言われていたらしい。
やはり原発を受け入れてきた青森県下北半島と、構造は瓜二つといっていい。
それにたいして、三陸の村や町は原発を拒んだが、厳しい過疎化の波に洗われながら、明治二十九年、昭和八年に続く、このたびの平成の大津波によって、またしても壊滅的な状態へと追い込まれた。
大震災は無残にも、それぞれの東北が背負う、それぞれに厳しい猶予の許されない現実を白日のもとにさらしたのである。
それにしても、東北の人々はみごとに凛として、誇り高く耐え忍び、この千年に一度の大震災と、未曾有の原発事故にきちんと立ち向かおうとしている。
ほとんどの東北人は、身内や知り合いのなかに犠牲者をかかえ、それゆえに、たがいに相互扶助の精神をもって支え合おうと努めてきた。
そこは、東北の絆が試される現場でもあった。
この巨大な災厄を契機として、あらためて東北の絆が編み直され、復興と再生に向けて人々が歩み出すために、そして、それを支援するためにこそ、復興構想会議は存在するにちがいない。
わたしたちは傷ついた東北と、そこに暮らす人々と手を携えて、世界に向けて深い感謝の念を表わしながら、新しい世界を創るために働かねばならない。
わたしはこの復興と再生のプロジェクトを、<ミロク・プロジェクト>と名づけたい。

(一)、風土に根ざした復興と再生をもとめて

福島県自然エネルギー特区構想について

被災した東北三県のなかでも、被災状況や復興への道筋が大きく異なることが明らかになっている。復興特区構想に共感を覚えるが、少なくとも宮城・岩手両県と福島県とでは同一歩調を取りがたい側面が予想される。福島県には、地震津波原発事故・風評被害が複合的にからまり合う、きわめて困難な状況が存在し、宮城・岩手両県とは復興の方向性も道筋も異なるにちがいない。
そこで、ここでは復興の道筋が描けずにいる福島県に関して、以下のような提案をおこないたい。
* *
いまだ原発事故の収束点が定かには見えず、福島県とそこに暮らす人々は見えない放射能汚染の不安に苛まれている。
半歩退いて、耐え忍び、やり過ごすことが東北人のひそかな美徳であるとしても、いま・ここでは、あえて前向きに復興・再生へと足を踏み出すことこそが求められている。
福島はすでに、途方もない痛手を強いられ、癒しがたい傷を負わされたのではないか。
福島がフクシマと名指され、チェルノブイリと並ぶ原発事故の負のスティグマを刻まれた、という現実から逃れることはむずかしい。
それを黙ってやり過ごすことは、負のスティグマを固定し、風評被害を増幅する結果を生むにちがいない。
おそらく、福島県とそこに暮らす人々が原発をこれからも受容することはありえない。
そこから、さらに大きく足を踏み出して、たとえば福島県には、原子力エネルギーから自然エネルギーへの転換という、まさしく「文明論的な転換」の先駈けの地となり、人類の直面する厳しい課題を真っ向から引き受けるといった、新たな選択が可能となるのかもしれない。
そのとき、福島=フクシマは世界史を根底から変容させる、はじまりの地となり、未来への希望を紡ぐ場所となることだろう。
世界の人々は、そうして前向きに起ち上がろうとする福島=フクシマにたいして、深い敬意を表わし、支援と協力を惜しまないにちがいない。
それでも原発にわたしたちの未来を託し続けるのか、あるいは、時間をかけて自然エネルギーへと転換してゆくのか、その最終的な結着は、広範な国民的議論に委ねるべきだろう。
ここでは、このたびの原発事故によって傷ついた福島県を、その復興と再生のために「自然エネルギー特区」として認定し、自然エネルギーの可能性を多角的に、かつ実践的に問いかける場所とすることを提案したい。
* *
この福島県自然エネルギー特区構想においては、可能な限りの法制度的、また財政的な支援をおこないながら、民間の活力を刺戟し、新しい産業と雇用を生み出す。

A、放射能汚染を除去するための研究と実践

福島県の大地と海を浄化し、人々が安心して暮らし、農業や漁業などの生業を営むことができるようにするために、人類の知恵と技術を結集しなければならない――。
国立かそれに準ずる研究施設を創設する。
徹底した情報公開、海外からの研究者の招聘、関連する諸分野の共同研究の推進
→この研究所の役割は、「警戒区域」を可能なかぎり速やかに縮小し、避難されている人々が住めるような環境を取り戻すことである。
民間企業を積極的に誘致し、育成する。その周辺で、新たな雇用の場の創出を支援する。

B、放射能汚染が人体にもたらす影響の調査・研究と医療の実践

長期間にわたって、被曝の実態を追跡調査しながら、情報を公開し、きめ細かい医療的な対応をおこなう――。
国立かそれに準ずる放射線医療の専門病院を創設するか、確保する

C、自然エネルギーにかかわる研究と実践

多様な自然エネルギーの研究と開発をおこなう――。
国立かそれに準ずる研究施設を創設する。実用化のための研究開発、海外からの研究者の招聘、関連する諸分野の共同研究の推進
民間企業を積極的に誘致し、育成する。その周辺で、新たな雇用の場の創出を支援する。
原発被災地域一帯に、風力発電太陽光発電の一大拠点を作ることによって、負のイメージを払拭し、人類の直面する課題と戦う福島=フクシマを積極的にアピールする、といった試みも可能かもしれない。そこから生まれる電気は、復興の財源として地域に還元される。
※ これらを複合的に組み合わせた施設を、原発被災地の内側もしくは近接する地域に、福島の復興・再生のシンボルとして建設し、関連する研究所や企業などを誘致しながら、その周辺エリアを「風土に根ざした環境未来都市」として包括的にデザインする。
※ こうした自然エネルギーへの転換は、福島県から東北全域へと広げてゆくことが求められる。環境省の試算によれば、風の強い東北地方では、原発3〜11基分が風力でまかなえる、という。いずれ、東北全域が自然エネルギー特区として位置づけられるべきだろうか。

(二)、鎮魂と記憶の場の創出のために

・鎮魂の森から再生の森へ

大震災の犠牲になった人々を鎮魂・供養するために、「鎮魂の森」を作るという安藤提案に共感を覚える。
留意したいのは、三陸リアス式海岸の村や町が、それぞれに「海山のあいだ」に開かれた小宇宙という風土的な条件を抱えていることである。
背後に山が迫り、海に面したわずかな平地に、海と関わる暮らしと生業の場がある。「森は海の恋人」(畠山重篤気仙沼市牡蠣の森を慕う会」)と名づけられた運動のなかで、漁民による森作りと海の再生、森・川・海を繋ぐ環境教育が展開されてきた。三陸の漁民のリーダーたちが、しばしば広大な山林を所有し、植林をおこなっていたという歴史もある。豊かな漁場を守るために。
震災の犠牲者たちへの鎮魂のために作られる「鎮魂の森」は、そのままに三陸の美しい海と漁場を取り戻すための「再生の森」となる可能性があるのかもしれない。

・東北災害アーカイヴセンターの設立へ

東北は県ごとに、知と情報のネットワークが分断されており、東北一円を視野に納めた博物館施設が存在しない。
今回の東日本大震災についても、その体験と記憶はあまりに広範な地域に分散しており、まとまった形での「東日本大震災の記憶」といったものは残りにくい。犠牲者への鎮魂と、次代への体験の継承のために、たとえば「東北災害アーカイヴセンター」の設立が望まれる。それは、日本ではじめての災害と環境にかかわる、総合的な情報のアーカイヴセンター/調査・研究拠点となる。 
災害をテーマとする、歴史学民俗学社会学、自然科学系の研究者が結集する。
①、東日本大震災についての情報のデジタル・アーカイヴの拠点 体験と記憶の聞き書き、映像記録 マスメディアの報道記録 インターネットの情報記録、など
②、あらゆる災害(地震津波飢饉・冷害・火山噴火・洪水・高潮・原発事故など) にかかわる情報や資料の収集 近代の新聞・雑誌などによる災害報道 歴史資料のなかの災害の記録 人文科学系・自然科学系の研究報告書、など
③、災害時の文化財レスキューについての研究
④、災害教育の普及の拠点
学校や地域社会が災害への備えを怠らぬために。東北とかぎらず、全国で、それぞれの地域の災害の歴史を踏まえた、災害教育の普及と実践を呼びかける。

東北学 忘れられた東北 (講談社学術文庫)

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