カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

「小姑主義」

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「本を買うな、図書館で借りろ」と今日も老母から説教された。目的の本が図書館にありゃそうするけどさ。

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「小姑主義」という言葉が頭に浮かぶ。
日本は「思想」で動く国ではないし、「思想」の価値がさほど高くないし、「思想」を持つ人が少ない。右だの左だのカビが生えて腐敗しているイデオロギー定型文を繰り返すアレな人はもちろん「思想」とは生来的に縁がない。だから「思想」のバッタモンを口にしたがるのだろう。
日本において、「思想(主義)」という言葉と「趣味」という言葉は、かなり綺麗に交換可能である。肉屋を支持する豚は新自由趣味であり、オルタナ板に集う方々はリベラル趣味だったり社会民主趣味だったり共産趣味だったりする。
余計な話だけどオタク趣味はこの交換可能性からいって、けっこう強靭な「思想」と言えなくもない。オタク趣味には規範性が内在していないから、規範性は他に依拠することになるが。まるっきり余計な話だった。
さて本題。
日本には、右左リベラルあまり関係なく、圧倒的多数の「小姑主義」者と、ごく少数の非「小姑主義」者がいる。
「小姑主義」は他人の言動思考に無為な干渉することにばかりエネルギーを使い、他人を消耗させることにばかりエネルギーを注ぐ。実際に手を差し伸べ助力することには、ほとんど、あるいはまったく関心がない。
といった主旨のことを、70年ほど前に清沢洌(きよし)という方が言っていた。

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060215/1139955647
1943(昭和18)年十月二十一日(木)

〔略〕日本人は干渉好きだ。しかし何か行動によってこれをなすことはしない。たとえば昨日、電車の中で網の上に鞄を載せようとしたのを何人も手助けしない。日本人の干渉は思想的なものに対してだ。

英米人は干渉嫌いだ。しかしそれは思想に対してであって、他が困っている場合にこれを助ける。町で考え込んでいると、「何を探すんですか」といって必ずヘルプしようとするのはその例だ。電車の中でも必ず助ける。とすれば干渉は同じだ。相違は「何を目がけて?」という点に帰する。(103p)

清沢洌(きよし)から連想してさらに余計なことを書くと、「歴史修正主義」的思考法は、清沢洌(きよし)の言う「コンバートメント式頭脳」によると思われる。基準軸を項目ごとにカチャカチャ変えることに躊躇しない思考法であり、その思考法は無限の無責任http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20120210 http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20061106/1162753076へ堕落する。

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20051214/1134509973
大杉 俺は君〔甘粕〕たちの頭脳をコンバートメント式頭脳とでも呼びたいと思っておる。そんな名前があるかどうかは知らないが、君らの頭脳には戸か抽出しがついていて、これは国体、これは政治、これは科学、これは産業と智識の袋を別々に入れ、これを別々に使用する、そしてかつてそれを混き交ぜて自分のものとすることを知らないのだ。(93p)

下手に「賢い」人は、「コンバートメント式頭脳」に堕落しやすい。具体例を書きたい気持ちはちょっとウズウズするが、具体例を書くと今後政治的協力を求めるのに難が生じるので書かない。あの方とかあの方とか。
枝野幸男さんや小熊英二先生や山田朗先生は全然「コンバートメント式頭脳」じゃないから偉い。
「第二回世界メディア芸術コンベンション」http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20120305/1330952580でキム・ジュニアンという方が以下のように言っていた。

韓国でも「批評」は「悪口」と捉える人は多い。日本と韓国と共通している。中国の出席者がいないので中国はどうだろうか。

「批評」=カルチュラルクリティークの「カルチュアル」は歴史的文化的文脈を含み、「クリティーク」は限界・境界までつきつめて考えることを意味する。(だから批評は「社会的コミュニケーション」を成立させるためにも大いになされるべきだ。)

キム・ジュニアンさんは正しい意味での「批評」critiqueについて説明している。
が、裏返すと、東アジアに(日本に?)圧倒的多数な「小姑主義」者の語彙において、critiqueは「小姑主義」を意味する。つまり他人の言動に干渉したがり助力をしない庶民の悪癖と、区別がつかない人には区別がつかない。
背景を「地」、その背景から浮かび上がる画像を「図」という言い方があるが、「小姑主義」が「地」となっている社会では、「図」としてのcritiqueは日本的変質・あるいは東アジア的変質を免れない。ように思う。訳語の選択にしくじったかもな、とも思う。

暗黒日記―1942‐1945 (岩波文庫)

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暗黒日記〈1〉 (ちくま学芸文庫)

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*1:上記引用文は岩波文庫版の頁数を書いているが、どうせ読むならちくま文庫版を薦める