カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

「コロリころげた木の根っこ」

1

我が老母は「家庭を犠牲にして仕事ばかりしてきて、気がついたら家庭が崩壊していました、娘が売春していました、なダメ親父」の典型だよな、という話を嫁とする。我が老母には母性はない。
我が老母は朝から晩まで一人でしゃべり続け、ヒトに指令をしたがる。老母が語る話は、キーワードとなる固有名詞を、ほぼ毎回間違えている。その固有名詞を間違えると全く意味不明になり、全く別な意味になる。それを繰り返し間違える。そのため、老母が仕事に介入すればするほど、指令すればするほど、我が家は混乱し混沌となる。だが老母は自分が混乱を作っている原因だとは当然全く思っていない。老母からは「いちいち介入しなくちゃ、こいつらはこんな簡単なこともできない盆暗ばかりだ」と見えている。

2

我が嫁のほうが我が老母より料理の腕がずっと上なのだが、我が老母は食材をムダに購入してきて、あ、老母が作るんだ、と嫁が思っていると、嫁に指令して作らせる。指示に従って嫁は黙々と作るが、老母が購入した食材は目的とする料理の食材としては不適切で、老母はムダにしつこく嫁に指示するが、指示内容は全く情報的には無価値で雑音ばかりだ。老母の指示は嫁にとって物凄いストレス源になっているが、もちろん老母にはその自覚がない。

3

我が老母は所作がいちいちムダに騒々しい。3歳児が「私に注目して!」と騒ぐのと同じように。行動した後は散らかしっ放しだ。だが自分がそうであることの自覚を欠く。老母は無駄口を延々し、その無駄口の内容は、自身が全く実践できていないことがらを私と嫁に朝から晩まで要求し続ける小言だ。我が老母はイソップ寓話の「蟹のお母さん」だ。「私の息子たちは横歩きしかしない。みっともない。横歩きなんてやめなさい。」と横歩きして小言を言う蟹のお母さんだ。「あんたには言われたくない」と標準的な人間なら思う。老母がウチにいると、私も嫁も猛烈に疲弊する。
ウチは接客業なのだが、本来客に対して向けるべきエネルギーを、老母に対して注がねばならず、接客の方へ向けるべき心の余裕的なものが消失する。

4

我が嫁は、料理が巧いのだが、ここ数日、肉を用いた料理がやけに塩辛かった。

5

藤子F不二雄作品に「コロリころげた木の根っこ」というのがある。これに出てくる暴君はちょっと我が老母に似ているところがある。
つ、ついに我が嫁は、自ら手を下さず「コロリころげた木の根っこ」での大和の妻と同じ計画を。我が嫁は聡明だとは思っていたが、こんなにも早くその決断を下すに至ったか。
と、思い切って嫁に訊ねた。俺は「コロリころげた木の根っこ」計画を止めないよ。
使用した肉が、客からのもらい物で、塩味で下味がついていたので、意図した以上に塩辛くなってしまったことが判明した。えらい勘違いをして嫁に申し訳ない。

6

ところで冒頭に例示した「ダメ親父」はしばしば「尊敬乞食」で、尊敬に値しない人格なのに「お前らは俺への尊敬が足りない」と無茶な要求を周囲にするものだが、我が老母も「尊敬乞食」でありまして、実に疲れる。

7

嫁のお蔭で、老母の理不尽の辛さを分かち合える人を得ることができたのは、本当にありがたい。しかしながら夫婦間で老母についての話ばかりしているのもあまり健康的ではない。

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