カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

文化の再生産とか

1

以下メモする。
http://d.hatena.ne.jp/kamosawa/20120527 「DQNの教育問題について、またはわたしもDQNであるということ」
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20120528/1338173209 「環境という足枷」
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20120529/p1 「足枷になっているのは“バカ親”なのか?“階層”なのか?」
kamosawaさんの文章が上記3つの中では一番好き。

2

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20120527/1338128914 からの連続性を勝手に感じる。

3

「離れ」へ我々夫婦が移動する件について、老母が癇癪起こして私も対抗的に癇癪起こして、嫁が気を当てられて、昨日来嫁の体調がものすごく悪い。嫁様ごめんなさい。
胎児に悪影響がなければ良いが。そう考えること自体我儘というか自分の責任の言い逃れか。
これだけ親子間の仲が悪いと、私と子供の関係も、色々影響があるというか、子供から無条件に愛されるはずなどという幻想を抱くべきではないと自身に諭す。
先の引用文に関連して言うと、我が老母はブルーカラー階層でそこそこ成功してしまったから、あるいは大成功してしまったから、同時にホワイトカラー的な思考法に強い僻みを感じ、自分の子供がホワイトカラーになることを嫌い、その呪いが私にムダに感染した。その感染が全く私にとって益にならない感染であり、老母がしつっこく自分を肯定するために喋り倒したあるいは現在でもしゃべり倒している老母用ブルーカラー的価値観は私にとっては呪いでしかないのだが、もちろん老母にはそのことは死んでもわからない。
言葉を尽くして老母にそんなことを説明しても老母には「お前はどんだけ自分をえらいと思ってんだ」という僻み感情しか喚起しない。学を修めると親をバカにするようになるから学などつけるな、という、「カムイ伝」でモブシーンの百姓が言うあの価値観を、我が老母様はずっと継続なさっていらっしゃるし、私への教育の際の数少ない一貫性でいらっしゃった。
カムイ伝」で何回か描かれているように、それは日本の庶民階層・下層階層の共通的価値観だったし、ひょっとしたら現在でもその価値観は生きている。

4

「僻み」というのは「保守」思想にとてもよく似ているなあ、とかも連想した。近代日本の保守思想はたいがい海外への僻みが裏返ったものだ。
「保守」思想界では「僻み」が根幹にあるから、保守思想同志の論争のときには心にもない「尊敬する××氏」などというおためごかし二人称が多用されるのだろう。日本においては論争が極めて例外的な環境でしか成立しないものだが、保守思想同志のときは、「私はあなたを軽蔑しているわけではないのですよ」と常に相手にアピールし続ける必要があるほどに、思考発言と軽蔑が不可分なものであり、その軽蔑は「僻み」の裏返しであろうと、そんなことを掃除の仕事をしながら暇に任せて思った。

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