カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

鳴沢地区のフットパスと同級生の父親の通夜

1

「フットパス」というのがあって、ざっと言うと、地域の名所巡りみたいなもので、ウチの地域でもそれを企画してみよう、という話になった。
すでに「フットパス」をしている人から話を聞いた方がいい、と、意見していた。ウチの方の地域の「フットパス」の中心人物と接触し、実際にわりと近隣地域で実施するとのことなので、参加してみることになった。
河口湖近くの鳴沢村大和田地区のフットパスというのに参加した。「大和田」という地名は、平安時代の富士山噴火による溶岩で、「剗(せ)の海」が現在の西湖・精進湖本栖湖に分断された時、西湖から溢れ出た水が河口湖まで大河となって流れ、その川が蛇行し「たわみ」、川がたわんでいる(曲がっている)ことから「大和田」という地名になった、のだそうだ。現在はその川は存在しない。
「鳴沢」という地名は、その大河の滝が「鳴る滝」「鳴る沢」から来ている、という説があるそうだ。その他に、富士の大沢崩れが「鳴る砂」から「鳴沢」になった、とする説もあるとか。
この大和田地区は「両墓制」という制度が残っている。埋葬する墓と、拝む墓が分かれているという制度だ。西日本中国地方にはそれなりに残っている風習だそうだが、東日本では珍しいそうだ。
「拝む墓」の方は、ふつうの墓石が並んでいる。
「埋葬する墓」「埋める墓」の方は、土葬し、その上に「土饅頭」がある。埋葬された跡がこんもりと丸く土が盛り上がっている。遺体が土に帰ると、この「土饅頭」が消える。そうしたらまたそこへ埋葬する。現在は土葬が禁じられているので新たに土葬されるケースはない。私の祖父と祖母は土葬だったから、少なくとも30年くらい前までは土葬習慣がウチの地方にはあった。
「土饅頭」を見て思ったのだが、「古墳」が丸い塚になっているのは、この「土饅頭」の巨大版を作りたかったのだろうな。

2

同日、夕刻、同級生Aの父親の通夜があった。
この同級生Aは人格が安定していて、ヤンキーではなかった。ふつうに成績優秀で、親がふつうの人だったら大学に進学していた。父親の稼ぎが悪い家で、彼の兄Bは私より2歳年上で、私とわりと仲が良かった。Bはオタクだった。Bも成績優秀だったからふつうなら大学に進学したはずだった。Bは「第一世代オタク」を体現していたから、大学に進学したらそれなりにオタク業界に名を残した人だっただろう。オタクとしてのセンスは私よりだいぶ良かった。Bは大学進学を許されず、高校三年生の時家出をし、その後定職につかなかった。大学に進学させる方法はいくらでもあったはずだ。当時はバブル期だ。
田舎の同級生らで揃って通夜に行く、という話になった。ヤンキーな同級生たちの顔を見るのは気が重かったが、行った。行ってから気づいたが、このヤンキーな同級生たちに私同様馴染めずにこの村と縁を切った、同級生Zには彼らは声をかけていない。Zは隣村に住み、私だけが連絡先を知っているようだ。ZとAは仲が悪くなかった。Zに葬儀のことを知らせようと思った。
通夜に参加した。同級生の一人、私が結婚式に誘った同級生Cが変に私に気を遣う。私はどういう扱いなのだろう。Cからは小学生の時ずいぶん虐められた。
実質喪主であるところの私の同級生Aは、この葬儀で、香典を受け取らなかった。名目上の喪主である彼の兄Bが「村の付き合い」を遂行できないから、という判断だろうと思われた。帳簿に名を書くのに遅れ、焼香するのが私1人になってしまったので、少しどぎまぎして、そこに彼の兄Bがいたかどうかは確認し損ねた。
通夜の後、ヤンキーな同級生Dの家がレストランをしているので、同級生らで集まった。私はこのヤンキーな同級生たちと一緒にいるとたいへんに気が重い。一言で言って彼らと何も共感しあえることがない。私がいると結婚式の時のわだかまりもあり、空気が重い。コーヒー一杯だけつきあい、帰宅した。
帰宅したのち、老母から、ウチの村では、葬儀の際、喪主の同級生らに2〜3万円を、なんていったっけ、お清めだっけ、そういう名義で渡す風習があると、いつものように物凄く判りにくい説明の仕方で、必要以上の罵り込みで、説明された。そういう風習をお前は知らないから同級生らと仲良くしろと、老母から説教された。死ねボケ。
ヤンキーな同級生らと縁を切っている例の穏やかな同級生Zに通夜と告別式の件を携帯で伝達した。

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画像は http://piapro.jp/t/9YhW (をかだ)から。