書痴なれど
1
私はだいたい30歳くらいから、論説文の面白さに目覚めた。きっかけは、当時わりと流行していたウォルフレンを読んだことと、宮台真司先生が講演で丸山真男に言及していて「丸山真男って誰?」と思って読んだこと、だった。『日本の思想』を読んで、くそ、高校生までに読んでおけば、と悔しがり、『現代政治の思想と行動』を思い切って購入してあまりの面白さに慄然とし、『忠誠と反逆』は一ページ読んでは知恵熱が出て眠りこけ、目が覚めては読んで脳が過熱してまた眠りこけして読んだ。
ようやっとそれ以降、「良書」とそうでない本の区別がどうにかつくようになった。
それ以降、読書傾向というか本への趣味が変わり、小説の類をほとんど読まなくなり、マンガもほとんど読まなくなった。
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2
それ以前もけっこうバカみたいに雑多な本を購入はしていた。
昨年、念願の書庫を作り、段ボール箱の開封をカタツムリのような速度で行なっているが、雑多なゴミ本ばかりザクザクと出てきて、それにまつわる切なくも虚しい思い出が去来して、その精神的辛さと、単純にちと量が多すぎることから、難航している。
3
ここ2年くらい、amazonで古本ばかり購入している。なのでここ2年の書籍代は、わりと少ない。本体1円送料250円とかそういうのばかり購入している。
本棚の中身というのは自己イメージと鏡面関係になっているので、30歳頃までに購入した本から形成される自己イメージとそれ以降の自己イメージにかなりズレがあり、30歳以前に購入した本を本棚に並べていると悲しくて生きているのが嫌になる。
30歳以前に購入した本でも本棚に並べて悲しくないどころか嬉しくなるものはもちろんたくさんある(はず)なのだが、今のところ段ボール箱から発掘できていない。老母様に大量に捨てられてしまった危惧がある。あれを捨てられたら悲しくて生きていけない、程度の思い入れのあるものもけっこうあるんだが、発掘できず、ゴミ本ばかり発掘して生きる意欲がゴリゴリ削られる。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20101013/1286937384 なんちゅうか、一緒に東京で生活するわけにはいかないから、いずれ再会する日を楽しみに分かれた親友たちが皆殺害され、顔見知りだけどそれほど親しいわけではない嫌な思い出とセットな糞餓鬼が糞餓鬼なまま老いて生き残っているのを毎日新たに気づかされるような。
4
嫁からは、今ある本を、死ぬまでには処分しておけと言われている。
30歳以降に購入した論説文の類は、自分が死ぬまでには、図書館へ寄贈したいと思っているけど、引き取ってもらえるものだろうか。
それ以前に購入したものは、切なく虚しい思い出とくんずほぐれつしつつ、処分を進めていこうと思うけど、いつもそう思って現物を見て虚しさの感情が体から溢れ出てどうにも作業が進まない。
5
俺は大学一年目のとき、来週までに○○の本を読んでおけ、と教員に指示されて、その本をどう手に入れていいものか途方に暮れたというのがけっこうトラウマになっているんだが、他の人はどうやって処理していたんだろうか。図書館ではすでに他人に借りられ、下宿近くの図書館の在りかすらわからず、本屋の位置も判らなかったので、指示される本を手に入れることができたのはごく少なく、それも「怠学」の原因の一つとなった。
30歳過ぎてテンプラ学生(偽学生)をしていた時は、東京の本屋のどこへ行けば購入できるか勘が働くようになっていたので困らなかったし、親切な教師はわざわざコピー誌を作成してくれたりしていたので困らなかったが。
俺以外の人間はそういう勘を上京した瞬間に持っていたのかなあ。そんなわきゃないと思うけど。