カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

『イスラームから見た「世界史」』

少し前に読了した。あまりに面白くて、読んでいる間はネットするのもテレビ見るのも忘れていた。
この本は塾講師時代末に西荻窪に住んでいた時、「信愛書店」という趣味のいい本屋に飾ってあって気になっていたが、当時の財政では買うのをためらった。
一読した後、webで紹介することを目的としてすぐ再読した。
紹介が巧く出来るかどうか判らないが、以下に記す。

筆者はアフガニスタン系アメリカ人で、アメリカの高校生教科書出版社で世界史を編集したことがあった。イスラムから見た世界史と、西洋から見た世界史のズレを意識した。そこでイスラムはどのように世界史を見ているのかを記した。
西洋の脱工業化して民主的な社会を歴史の終点とするなら、世界史の目次はこうなる。
1;文明の誕生―エジプトとメソポタミア
2;古典時代―ギリシアとローマ
3;中世―キリスト教の興隆
4;再生―ルネサンス宗教改革
5;啓蒙時代―探検と科学
6;革命の時代―民主革命・産業革命・技術革命
7;国民国家の出現―覇権をめぐる闘争
8;第一次世界大戦第二次世界大戦
9;冷戦
10;民主的な資本主義の勝利
イスラムムスリム共同体の理想から遠く離れた停滞の状態に置かれている。そこに到達するまでの世界史の目次はこうなる。
1;古代―メソポタミアペルシャ
2;イスラームの誕生
3;カリフの時代―普遍的な統一国家の追及
4;分裂―スルタンによる統治の時代
5;災厄―十字軍とモンゴルの襲来
6;再生―三大帝国の時代
7;西方世界の東方世界への浸透
8;改革運動
9;世俗的近代主義者の勝利
10;イスラーム主義者の抵抗

西洋世界とイスラム世界は、これまで互いを顧みないできた。この二つは別個の宇宙、独自の物語を生きてきた。17世紀後半に二つの物語が交差し、より強力だった西洋の潮流が優勢となり、イスラムの潮流を攪乱した。

1;ミドルワールド/古代―メソポタミアペルシャ

1-1 ミドルワールド

イスラムが誕生する前に、二つの世界が出現した。
一つは、「地中海世界」。海路交易ルートに形成され、やがて「西洋文明」を生む。
もう一つは、陸上交通路から成る、インド・中央アジアメソポタミア・エジプトの世界。後にイスラム世界となるこの地域を仮に「ミドルワールド」と呼ぶ。(中東はその地理的一部)
中華世界と南北アメリカは地理的に離れているので、本書にはめったに登場しない。
地中海世界とミドルワールドは、それぞれが別個に交流圏を形成していた。
この地中海世界とミドルワールドは、イスラエルレバノン、シリア、ヨルダンで、今日の紛争の火種を抱えている地域で、重なっている。

1-2 メソポタミア

メソポタミアは平坦な土地だ。他の大河文明のような天然の要害が存在しない。太古から遊牧民と定住民の錯綜した闘争が繰り返された。
5500年前、シュメールと呼ばれる都市国家ネットワークが生まれ、楔形文字・車輪・製陶用ろくろ・60進法が発明された。
それをアッカド人が征服した。アッカド王朝サルゴン王(在位BC2350頃〜BC2295頃)は初めて歴史に名をとどめた征服者だ。彼は残忍な人物だった。
その後新たな遊牧部族がアッカド王朝を征服し、さらに他の部族に征服されることが繰りかえされた。そのたびに版図は広がった。
アムル人は都市バビロンを建設し、バビロニア王国を統治した。
そのバビロニアを征服したアッシリアはさらに巨大な都市ニネヴェを首都とした。アッシリア王国の版図はイラクからエジプトまで広がった。アッシリアは20世紀のスターリンのように、被征服地の住民を別な土地へ強制移住させた。これにより反乱を組織する気力を奪った。
アッシリア王国はカルデア人に倒された。カルデア人はバビロンを再建し、新バビロニア王国カルデア王国)を樹立した。12進法を用い、世界の七不思議の一つ「バビロンの宮中庭園」を建設した。カルデア人アッシリア人と同じく強制移住政策を踏襲した。新バビロニア王国ネブカドネツァル2世は南ユダ王国の首都エルサレムを陥落させ、11万人のヘブライ人(ユダヤ人)をバビロンへ強制移住させた(バビロン捕囚)。
カルデア人新バビロニア王国は、インドヨーロッパ語族のペルシア人とメディア人の部族連合軍に倒された。ペルシア帝国が生まれた。

1-3 ペルシア帝国

ミドルワールドの征服の歴史に長い休止期が訪れた。ペルシア人は全オリエント地域、エジプトもメソポタミアも征服し、その宗主権はインダス川流域にまで及んだ。
ペルシア人は被征服民への強制移住政策を行わなかった。ペルシャ皇帝は、納税の義務を果たし、皇帝の少ない命令や要求に服従することを条件に、住民が独自の指導者のもと独自の生活習慣で生きることを容認した。この多文化政策の理念は、後世のイスラム世界でも採用された。
ペルシア帝国は大量の翻訳者を雇用した。歴代皇帝は翻訳者を活用しておのれの威光と偉大さをさまざまな言語で書き記した。この時代の文書の量は膨大で、この3000年前のペルシア帝国の日常は、1200年前の西ヨーロッパの日常より詳しく判っている。

1-4 ゾロアスター教

紀元前1000年頃の哲学者ゾロアスターの教えが、ペルシア帝国では最高の地位を占めていた。
ゾロアスター教では善と悪の闘争が終末の時まで続くとされる。人間は善の原理と悪の原理をともに内包し、善悪いずれの方向に進むかを自由に選ぶことができる。ゾロアスター教には宿命というものは存在しない。壮大な闘争の結末は定かではないが、人間は誰でも思うままに道徳的な選択を行える。その選択の一つ一つが宇宙の結末に影響を与える。
死後の世界において、善人が天井の楽園に行くのは、現世で善人であった報酬ではなく、善の原理を選択した帰結である。
ゾロアスター教の祭司はマグと呼ばれ、複数形はマギである。キリスト教の伝承で「東方の三博士」が馬小屋で生まれたイエスを訪れ、没薬と乳香を捧げたとされるが、この博士たちはゾロアスター教の祭司だった。

イスラームから見た「世界史」

イスラームから見た「世界史」

(疲れたので今回はここまで)
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20130407/1365289368へ続く

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