カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

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「我らの二つの基準」

安倍晋三憲法観への批判コメントを眺めて、「我らの二つの基準」についてブログに文章を書こうと、少し前に思った。文章にするには私の力が足りないと思い、本日まで書かなかった。二つの基準とは、学問的正解を根拠とする基準と、縁故を力の源泉とする基準だ。
1;安倍晋三って、頭弱いでしょ? でもその頭弱い奴が日本の総理大臣で、しかもかなりの支持率を維持しているし、先日の参院選では圧勝しているでしょ?
つまり、社会にとって、頭の出来とか、有能さとか、そんなことはわりとどうでもいいというか、実はそんなことは価値の低い社会に私たちは生きている。
安倍晋三より頭のいい男は、日本社会に、…えっと、日本人男性が約5000万人として、安倍晋三の知能はその平均よりは下だから、たぶん約2500万人ほどいるが、それら2500万人は、皆、岸信介の孫ではないので、安倍晋三の位置にいない。
これはこれで間違いのない事実だよね。「有能さ」だけに限定すれば、たとえば菅直人安倍晋三よりはるかに有能で、安倍晋三政権下で原発事故が起きなかったことは不幸中の幸いだと俺だけでなくかなり多くの日本人が思っていると思うが、でも安倍晋三は今度はわりかし長期政権になりそうだし、菅直人元首相の評価って、どうなるかなあという感じだよね。
じゃあ安倍晋三菅直人より何が優れているかというと、生まれながらに権力血縁集団の中に生まれ、その権力血縁集団の中で縁故的に一番上というか、他の縁故集団との力関係で最も優位にいたという、そういうことだよね。
2;以下一文が不正確になるのでそこで躊躇するんだけど、ちょっと前のニュースで、スペインが学術での立国を諦めた、みたいな報道があった。
http://newvo.jp/56139/%E5%AF%BE%E5%B2%B8%E3%81%AE%E7%81%AB%E4%BA%8B%E3%81%A8%E5%91%BC%E3%81%B6%E3%81%AB%E3%81%AF%E7%94%9F%E3%80%85%E3%81%97%E9%81%8E%E3%81%8E%E3%82%8B%EF%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%A7%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E7%AE%A1%E8%BD%84%E7%9C%81%E5%BA%81%E3%81%8C%E5%BB%83%E6%AD%A2%EF%BC%86%E7%A7%91%E6%8A%80%E4%BA%88%E7%AE%97%E3%82%826000%E5%84%84%E5%86%86%E4%BB%A5%E4%B8%8A%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%88%E2%80%93%E5%A4%A7%E3%80%8C%E8%84%B3%E3%80%8D%E6%B4%8B%E8%88%AA%E6%B5%B7%E8%A8%98
うん、元記事がもう確認できない。「スペインで科学研究管轄省庁が廃止&科技予算も6000億円以上カット」2012年02月16日 頃。
スペインは科学研究で他の先進国と張り合うのはやめました、もう過去の遺産だけで食っていきます、という宣言だろうなとか思った。
3;科学研究とか、より広く真実の研究に対して、国家や政府が価値を見出したのは、国家間競争においてそれが有利だ、と見なされていたからだ。一般社会の科学技術が軍事に応用されるようになったのは18世紀〜19世紀とかのことで、それ以降20世紀まで、国家や政府にとって、より早く科学的真実を得ることが国家間競争にとって大事だとされていた。一つの象徴が原爆の発明をどの国がするか。
けどまあ、もうそういう時代は、過ぎた。国家に代わって現在世界を牽引し管理しているところの多国籍企業にとっても、もう発明発見が新たな地平を開いたり優位に立つための根幹ではたぶんなくなった。
こっから先は、古代から中世への転換期と同じく、すでに持っている特権の競争の社会となった。だからスペインは競争から降りた。他の多くの国も続々と今後たぶん降りる。
「真実」に価値があったのは、「真実(たとえばライフルの原理とか核分裂の原理とか)の獲得が、国家間競争・国家間戦争に有利だった」からだ。たぶん、もう、今後の国家はそんなものをたいして必要としない。国家に代わるところの多国籍企業も同様に。
4;「民主主義」という価値観に力があったのは、いかに兵力を大量動員するかが、国家間競争に有利に働いた一時期に、より多くの兵力を集めるための口実というか、都合のいい理念として、必要だった。
ところで、項羽と劉邦の争乱が終了した古代漢帝国で一旦身分制がなくなり全ての人民が「士」になったように、あるいはカラカラ帝ローマ帝国時代に全てのローマ帝国領民がローマ市民になったように、私たちは「全ての国民・人民」は平等だというフィクションを生きている。
しかしながらこのフィクションは大量の兵力動員が有利な社会での理念であり、国民皆兵な古代社会がやがて軍事貴族による軍事独占社会、すなわち中世に移行したように、国民皆兵よりは少数の傭兵の方が有利だという中世化が進みつつある現代において、国民・人民が平等だというフィクションは、徐々に不要なものとなりつつある。あるいはそのフィクションを支えていた力が喪失しつつある。
自民党のヘッポコな改憲案もそういう文脈で読むと、下層社会民である私は自己憐憫に涙が滲む。特権階層集団である自民党はこのヘッポコ改憲案を通せる実力を少なくとも日本国内に持ち、それを覆せる実力は日本国内にはない。アメリカが自分の国内のフィクション維持にどのくらい価値を置いて日本にそれをどの程度要求するかとか、戦後日本のすげえ典型的な、そんな感じなのはちょっとだけ、これって期待と言っていいのか。
5;表題に戻る。
「(科学的・歴史的)真実」に価値ありとする社会に、我々は生きているというフィクションを、我々は生きている。だから我らは自分の子に学歴をつけさせようとし、自身に学がないのを恥じる。
同時に、我らは、「真実」なんぞより「縁故と情実と血統」に価値ありとする社会に生きている。これも共同幻想的な意味でフィクションではあるが、この二つのフィクションのどっちが説得力があるかという勝負であり、安倍晋三総理さまは、日本が後者社会であることを私たちに知らしめているし、その政権が継続するのは、後者社会であることを我々にさらに執拗に教えている。
だから安倍晋三麻生太郎にとって、真実なんてどうでもいいのだ。そして、たぶん、刻々と、この世は、真実なんぞどうでもいいという社会に近づいているのだ。学歴がだんだん通用しなくなったというのは、生まれつきの縁故情実だけで社会は区分されますよということを示しているのだ。中流以下に生まれたら、苦学して大学出てもコンビニのレジ打ちにしかなれない社会が目前にある。ということだろう。
その近づきつつある社会は、現在特権階層にいる人々にとってはそれなりに楽園であり、中流以下の庶民にとっては煉獄・地獄であるが、まあ、きっと、「偉い人がきっとどうにかしてくれますよ」。安倍晋三麻生太郎鳩山由紀夫みたいな「偉い人」が。

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