カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

『進撃の巨人』と「溜め」

今期アニメ作品は『進撃の巨人』しか見ていないけど、この監督は、「動かす」のは得意でも、「溜め」「止め」は苦手なんだな、と、改めて思った。「溜め」が適切になされれば、もう一段階上に行くのに。
具体的には、たとえば以下のシーン
1;巨人に殺される寸前で、ミカサが「良い人生だった」と言うシーン。ここは原作漫画屈指の「溜め」の名シーンだが、アニメでは「溜め」なかった。
2;巨人の体からエレンをミカサが救出する一連の流れ。エレンの無事を確保するまでミカサが機械的に救出処置をし、自分の感情を抑えていたのは、「ミカサには感情がないのではなく、感情を抑えているのだ、ミカサの有能さはエレンに奉仕するために研ぎ澄ましたものだ」ということを示す、原作漫画屈指の「溜め」の名シーンだったが、アニメ監督はそこのミカサの感情を「溜め」ずに流した。。
3;アルミンに問い詰められたアニ。ここも「溜め」るべきシーンだが、監督は「溜め」なかった。
予算が潤沢にある(想像)から「溜める」か「動かす」かの選択では常に「動かす」ことにしているかもしんないけど、「溜め」ることが原作者の意図でかつ名シーンだったところを流しているのは、まあ、人間には苦手なものというのはあるし、アニメーターは一般に「溜め」が苦手なものだけど。
…あれ、でもアルミンの「溜め」はわりとちゃんとやっているような気もするな。女性キャラの「溜め」が苦手なのかな。

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