カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか、狂乱している老母との生活とか

手のかからない乳児と手のかかる老母

繰り返し書いているが、生後11か月の我が娘はまことに手がかからない。
ところで、我が老母は実に手がかかる。嫁は「おもり(お守り)」という言葉を使う。的確な表現だ。老母を「お守り」するのに我々夫婦は、娘の「お守り」の数十倍、数百倍のエネルギーを消耗している。その残りのエネルギーで家業と娘の「お守り」をしている。
我が老父は手はかからないが、老齢であるので、原則として、我が嫁が老父の食事の世話をする。老母も老父の食事の世話くらいはできるので、我が嫁が不在の際は老母が老父の食事を用意する。なので我が嫁が休日をとるためには老母が「店舗」に昼と夕刻にいることが条件となる。ところが、老母がいつ在宅していていつ不在になるのか、我々に全然情報が来ない。老母は商工会やら何やらでしょっちゅう旅行して外泊する。老母が不在するのは歓迎なのだが、いつ不在になるのかの情報が全然こっちへ来ないので、我々夫婦は休日の予定がまるっきり立たない。老母の主観では休日を我々が作るのは罪悪であるから、情報を我々に与えないことによる不都合を一切感じない。
本日、娘に私が夕食を与えている間に、老母が、今後1週間の外泊予定を老父相手に別の部屋で述べた。老母の外泊日が分かったので、娘への給仕を中断して、事務所へ行き、老母の外泊日を台帳に書き記した。突然給仕がなくなったので、娘は混乱したのだろう、泣き出した。
娘が泣いていることに私はさほど痛痒を覚えなかったが、それから数時間経て、夜間になって、あ、給仕を突然中断したのは娘に悪いことをしたな、と思い直した。
塾講師をしていた時もそうだったのだが、手のかかる子供と手のかからない子供といた場合、つい、手のかからない子供への対処の方が疎かになりがちだ。我が家の場合、ひどく手のかかる老母への対処にムダに追われ、手のかからない乳児の娘への応対が私は疎かになっている傾向がある。これは娘の情緒育成に悪影響が間違いなくある。
給仕を中断せざるを得ない場合、少なくとも、娘に理由を述べて詫びて中断をするべきだ。言葉の意味は娘に理解できなくとも、こちらの気持ちは伝わるものだ。
娘に食事を与えて小一時間後、娘が寝むずりしていた時、娘を抱いてあやした。この時も、無言であやしているより、娘に声をかけるほうが、娘は安心を覚えおとなしくなる。手間がかからないからといって対処を疎かにしないよう反省したい。そして明日娘の顔を見たとき、娘にちゃんと謝ろう。子供は大人の都合に振り回されがちなものだから、私の都合で娘を振り回さないよう言動を慎もう。

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