カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

雪害の日々

2月12日、13日と、1泊で、埼玉の方に、町の企画で営業に行っていた。帰宅の後は休むつもりだった。

1

14日金曜から、もくもくと雪が降った。
14日から、八王子から宿泊客が来ていた。来る前に、今回は辞めた方がいいんじゃない? と電話したが、その時点で近くにもう来ていた。チェックインした。
この日、豪雪が凄いので、「離れ」に帰らず、「店舗」に私も嫁も娘も泊まった。眠れず、15日午前1時頃、玄関の雪かきをしていた。この時点で積雪50センチ超えくらいになっていた。
中国人グループが自販機のところをウロウロしていた。自販機まで豪雪で辿り着くのが困難で、雪かきシャベルを借りたいというので貸した。その後、「ここは35人ほどの宿泊は可能か?」と訪ねてきた。貸し切りバスで来ているが少し先で動けなくなっているとのことだ。可能だと答え、宿泊の手続きをした。宿泊棟まで約120m位の距離を、積雪1m弱の雪をかきわけ、通り道を大急ぎで作った。
中国人たちの幹事というかガイドが、食事したいと言う。いやウチは食事出ないって。コンビニまで車で連れて行った。それらの作業を終えたのは、朝4時近くだった。
15日土曜日の夜が明けた。まだ雪が降っていた。積雪130センチを超えていた。昼ごろ、どうにか雪がやんだ。
豪雪なので昨夜の宿泊客は午後3時まで延長可能としておこう。「今回の宿泊客は、難民だ。連泊をするなら無料も視野に入れよう」と嫁や老母と話をした。もちろん老母は無料というアイデアには頑強に反対した。
中国人たちのガイドが朝食がほしいと言い出した。だからウチは食事出ないって。親戚のコンビニまで連れて行こうと車を出した。途中で積雪で車が動けなくなった。客に徒歩で向かってもらい、車を動かせるように頑張った。動かなかった。除雪の土建屋さんがいたので、お願いして車を引っ張ってもらい、どうにか動いた。
中国人たちは自分たちが難民だという自覚が皆無だった。昨夜は石和に泊まる予定で、今日は東京に行く予定だったそうだ。予定が狂い、今夜も宿泊する可能性があると。まあそれはOKだけど。しかしここは食事が出ないのかとガイドが言う。だからウチは食事が出ないし、あんたらどういう状況か判ってないだろ。
日本人客のレンタカーが雪に埋まっていたので、それを掘り出すのを手伝った。さてこれで帰れるね、というところで、通りすがりのおじさんが、道路の除雪は一車線分しかできていないのだから、救急車とかが動いたらどうするつもりだ、今日は車で動くな、と説教した。どうしようか、とにかく午後まで様子を診よう、という話になった。
中国人たちが昼食をとりたいと要求する。近いところから2軒ほど電話する。豪雪で今日は営業しないとの回答。2軒目の方で老母が食い下がり、ほうとうだけなら1時間後になら用意できる、ということに。ガイドにその旨を説明する。その場所まで私が徒歩でガイドすることに。
難民になっている自覚が全然ない中国人たちを引率して食堂へ。まあ、遊びに来ているのだから、難民になっている自覚なんてないわな。
夕食が出ないかとガイドが言う。シチューとごはんくらいの夕食なら用意できる、と説明する。それでは気に入らないとのこと。ああそうですか。河口湖にはホテルがたくさんあるし、中国人相手をメインで営業しているホテルもあるから聞いてみたらどうかと提案する。
日本人客はもう一泊し、翌朝早く発つという結論に。
中国人客は河口湖の別なホテルに移動することに。

2

16日日曜日は雪に埋もれて過ごした。積雪が凄すぎて「離れ」には帰れなかった。
不思議なもので、老母老父は猛烈に睡魔が来て、寝て過ごした。ので我々は平和だった。
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3

17日月曜日、村の自治会から電話があり、除雪をするのにウチのタイヤブルを貸してくれとのこと。河口湖町で重機を持つ全ての家に要請をしているようだ。
一日、タイヤブルで除雪作業した。幸い、金曜日昼時点でチェーンを購入しておいた。とはいえ俺はタイヤブルの操作が得意ではないので物凄く疲れた。
夕方、さて今日の作業を終えてもう帰ろうというところで、「お疲れ様、交代しましょうか」と声をかけられた。帰るつもりだったが貸した。俺の数十倍上手に重機を扱った。
夜、コンビニに行くと、仕入れがなくて、品物が閑散としていて、「ああ、被災しているんだな」という感じが強くなった。まだ「離れ」には帰れなかった。

4

翌日、18日火曜日は重機を午前中からその人に貸した。一日かけて村の除雪作業をなさったようだ。
私は「離れ」の雪かきをした。嫁の車が雪で埋まっていたので掘り出した。後部ワイパーが雪の重みでもげていた。
御坂峠が開通したのはこの夜だったか?(後で確認する)

4

19日水曜も重機を午前中から貸し、村の除雪が行なわれた。
老母は被災状態にあるという自覚を全然持ってないのと、閉じ込められているストレスからか高血圧症で、つまり錯乱していて、実に我が家が険悪な空気に。連日、雪かきをしていて私は体がヘトヘトなのだが、老母から見ると私が暇をしているようで気に入らず、老母は暇ですることがないと私を弄りだすという悪癖がフルに出てきて、嫁も聞いてられなくなり、「店舗」での寝起きを終え、「離れ」に避難、帰宅する。

5

この一週間のことを書いてみたものの、疲労と、老母からの無体なストレスで、月曜以降の記憶が定かでない。

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