カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

田舎の生活とか、政治関係とか、表現規制のこととか

都議会のセクハラ野次とか

俺は知的訓練を積まなかったことを酷く後悔しているけど、でまあ、もし俺が知的訓練を積んでいたとしたら、という傲慢な仮定で考えてみるけど、
都議会のセクハラ野次について、
1;あの野次が不正義であるという観念はいつごろから日本で(あるいは世界で)共有されるに至ったか
2;日本において決定的だったのは1999年の男女雇用均等法施行だと思われるので、それ以降の日本内のバックラッシュ現象を時系列的に振り返りつつ、あの都議会セクハラ野次が不正義であると見なされるのが2014年6月時点で社会通念化していることを喜び、ツイッターなどが果たした役割なども記述し、
3;男女雇用機会均等法が施行に至るまでの、男女平等が正義であると見なされるに至る歴史を、だいたい20年間隔ごとにひと時代と区切り、80年頃から99年までの男女平等言説の流れ、その前の60年頃から80年頃までの流れ、みたいな感じで、20年単位でだいたいひと区切りとしてその枠内で時系列的な出来事を述べ、
4;同時代の他国の動きがいつ頃日本に影響をどういうかたちで与えたかを述べ、
5;男女平等の歴史を遡行的に記述し、
6;男女平等がなぜ過去において正義と見なされなかったか、考察し
みたいな構成のものを夢想すんだけど、すでにそういう仕事は存在しているんだろうなあ。
「野次」という文化についても
1;なぜ議員の「野次」はアリだとされる通念があるのか、たとえば都議会傍聴者が同じ野次をしたらどう見なされるか、
2;おそらく議員の「野次」のルーツは、ローマ皇帝(や元老院議員)へのブーイングや賛意の表明がそれだと思うが、その流れで正しいか。ローマ皇帝は大衆の賛意を必要としたから同時に「野次」がアリとされる文化が背景にあったと想像できるがこの仮組で正しいかどうか。
3;たとえば議会制の源流であるイギリス議会の場合「野次」の扱いはどうか
みたいなのを考えるんだけど、そういう仕事も存在して…いないかな。どうなんだろうね。特に「野次」は輸入品な気がしてならないんだけど、どうなんだろうね。

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