清官と濁官
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「清官の害は濁官の害より甚だしい」
といった言葉を初めて知ったのは、高橋和己についての評論集だったと記憶する。
学生運動が盛んな頃、高橋和己は学生から人気のある教授であり作家だったが、やがて学生から「清官の害は濁官の害より甚だしい」と弾劾され苦悩した。(以下参照されたしhttp://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~keiuchid/100601.php) 高橋和己と当時の学生は、「清官」は誠実な官吏、「濁官」は不誠実な官吏、という理解を相互にしていたようだ。しかしこのフレーズで高橋和己を糾弾した学生は、「清官」「濁官」という言葉の意味をよく判っていなかったのだから、高橋和己がその糾弾に苦悩する必要は本当はなかった。…といった内容が、冒頭で挙げた高橋和己論の内容だった。その評論にチョロチョロと走り書きしてあった「清官」「濁官」についての史実的に正しい(らしい)説明はよく覚えていない。
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後漢末の「党錮の禁」という内乱では、豪族勢力が「清流」、宦官勢力が「濁流」と称していた、というのを陳舜臣の小説あたりで読んで、「濁官」「清官」も宦官と貴族官僚のことかな、みたいに記憶が上書きされていた。
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宮崎市定の『中国史の名君と宰相』を読んでいたら、2箇所、「清官の害は濁官の害より甚だしい」というフレーズが「諺」として登場した。
176p「藍鼎元」と263p「張溥とその時代」に出てくる。
清官は賄賂を取らない官吏、濁官は賄賂を取る官吏、という意味で使われている。
あれ? こういう理解でいいのかな? と思い、web検索してみた。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1252835692
魏の九品中正法時代の名門貴族官僚が「清官」、下級官僚が「濁官」、という理解でいいのかな…
wikipediaだとまたちょっと説明が違っている。元来は九品中正法時代の名門貴族官僚を差し、後には清廉な官僚を指すようになった、みたいな。
「藍鼎元」は清代中期、「張溥とその時代」は明代末期なので、明代以降は、清官は賄賂を取らない官吏、濁官は賄賂を取る官吏、という意味だと理解していいのかな…