陶朱公のエピソード
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「史記」の「越王勾践世家」に、勾践の謀臣「范蠡(ハン・レイ)」が登場する。
「范蠡」については、なぜかニコニコ大百科に良い説明があったりする。http://dic.nicovideo.jp/a/%E8%8C%83%E8%A0%A1
越王勾践が臥薪嘗胆の末、戦国の覇者となると、越王勾践の謀臣范蠡はそのもとを去り、商人となる。
春秋戦国時代から前漢にかけては好景気時代だったようで、商人となり陶朱公と名乗った范蠡は巨万の富を得る。
その陶朱公のエピソード、宮崎市定の本から以下にメモする。
朱公が陶〔地名〕にいた時、次男が殺人罪を犯して楚国の獄に繋がれた。朱公はその末子をやって金力で釈放されんことを運動をさせようとしたところ、長男が責任として是非行きたいと願った。朱公はやむをえず、長男に千金を持たせ、楚に赴いて知人の荘生に運動のことを依頼させた。荘生は貧書生にもかかわらず、楚王から尊敬されていたので、恩義ある朱公のために一肌脱ごうと決心した。
荘生は朱公から託せられた運動資金の千金は後で返すつもりなのでそのまま手をつけず、空手で楚王を尋ねて、ただ一言を言上した。
この頃、星の運航に異変が見えますぞ。徳を施して祓いなさいませ。
楚王は腹の中で自問自答した。
王者にとって今急に徳を施せといわれても出来ることは何か。それは大赦を行なうより外にないな。
そこで楚王は司法官を呼んで大赦を命じた。司法官がすぐその準備に取り掛かると、たちまちそれが外部に伝わって、やがて大赦が行なわれるぞ、という噂が町中に拡まった。これが当然、朱公の長男の耳にも入った。すると次男は間違いなく釈放されるのだ。長男は急に荘生へ預けた千金のことが気に掛かり出した。そこで荘生の許へ出かけて、
先達ての千金はもうお使いになりましたか。
と尋ねた。荘生はすぐその意味を悟って、
そこにそのままありますよ。早く持ってお帰り。
長男がその金を持ち帰ったあと、荘生は信頼を裏切られた腹立たしさに耐えかねた。自分は何も金のために、次男助命の運動に加勢してやったのではない。それを長男は総てが金で動くものと思いこんでいる。荘生は再び楚王に面会を求めて言った。
星の運航は正常に戻ったようです。もう御心配には及びません。
楚王は大いに喜んで、早速司法官を呼びよせ、大赦の中止を命じた。朱公の次男は裁判の判決通りに死刑に処せられた。
長男は千金を使用しないでも、折よく大赦に廻りあって次男の命が助かり、これほどの幸いはないとほくほく喜んでいた。ところが政府から呼び出されて下げ渡されたのは次男の屍体であった。彼は泣きながら棺を運んで父の許へ帰ってきた。
陶朱公は嘆息しながら言った。
いずれはこうなるだろうと予測はついていた。私が最初に三男を使いに出そうとしたのには訳がある。長男は私の貧乏な時代に育ったので金を大事にし過ぎる。ところが助命運動などをする時には、些かでも金をけちると必ず失敗するものなのだ。三男の方は私が金に不自由しなくなってから生まれたので鷹揚に出来ている。だから三男なら金に糸目をつけずに使って次男を助け出せると思ったわけだ。しかし長男がたって願うのに三男をやってそれが成功すると、今度は兄弟同志が仇になって啀(いが)みあいはせぬかと心配したのだ。何もかも運命というものさ。〔64-96p〕
2
戦国時代から秦漢にかけて、范蠡説話が流行したと思われる、と、宮崎市定は書いている。
以上メモする。
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