カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

老母の退院

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20150325/1427295103 の続き。
3/16(月)に老母は怪我した。
飲んでいる薬の関係で、薬の効果がなくなるまで手術ができないので、入院は3/25(水)から、手術は3/26(木)だった。
痛み止めの効果と、老母は自分がどういう状態なのか理解しない性格なので、三角巾で右腕を吊った状態でごちゃごちゃ動こうとし、畑仕事までしようとした。バカか。
3/25前後から、春休みの関係で、それなりに宿泊客は多かった。
3/25からの入院では、嫁がずっと付き添うことになった。3/26の手術の際も、嫁がずっと付き添うことになった。
「店」の仕事は、なんでもしてくれるおばさまに掃除をお願いし、俺が店番し、それで回るが、2歳児の娘の世話をするのに老父の姉に連日来てもらった。
老母がいないと気分が軽く、俺の体も軽い。いつも以上に店舗の掃除を隅々までできた。
3/27(金)に俺と老父も一応、見舞いで顔を出した。さすがに手術直後で本人は気が弱くなっていた。後で聞くと、右腕は複雑骨折だったそうだ。
3/28(土)の夜に妹2号と甥姪が来た。我が娘は遊び相手を得て大喜び。3/29(日)に妹2号と甥姪が老母の見舞いに行った。その夜、3人は神奈川県へ帰った。
甥姪がいなくなると、遊び相手がいなくなり、3/30(月)に我が娘は「寂しい」と言って泣いた。
3/31(火)に老母が帰宅した。その日は大人しかったが、4/3(金)頃から老母は興奮しだして、ああじゃのこうじゃの馬鹿げた指図をして、仕事の邪魔をして堪らない。俺は体調がすげえ悪くなった。体が重い。ビールの飲み過ぎかなとも思ったが、それ以上に心因的なものだろう。
俺は老母のいない間、バカな横やりがなくなったので、すげえ仕事が楽だった。嫁は老母老父娘の世話をしなくてはならないので、楽にはならなかった。とはいえ娘と老父は「いい子」で聞き分けがいいので、それほどは負担も増えなかった。我が老母一人に費やさなくてはならないエネルギーは、便のコントロールの効かなくなりはじめた老父と2歳児の娘へかけるエネルギーよりずっと多い。もちろん我が老母は毛ほどもそんな想像はしていないばかりか、「自分がいなくては『店』も『家』も回らない」という妄想に浸っている。キチガイキチガイたる。
4/3は娘の保育所の入園式だった。俺も行けばよかった。「店舗」で老母の声を聞かされるのに耐えきれなかったので、嫁と娘と連れて嫁の実家に行って夕食をいただいた。
3/26頃から富士河口湖河口地方と富士吉田を繋ぐトンネルが開通し、嫁の実家のある富士吉田へ行くのがすごく楽に早くなった。

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